かにさん記録 blog

日々の思うこと、好きなこと、考えの整理!

残しておきたい気持ち。

久しぶりなのですが!
頑張っていた過去の自分に気付けなかった、あの頃の自分に対して、今の自分が思う事を綴ってみます。すーぐ過ぎ去る私の気持ちに対する、備忘録。


あの時の自分はすごく傷ついていたと思う。

当時はあまり考えていなかったし、傷ついているということも自分ではわかっていなかったのだと思う。今考えてみたら、何気なく通り過ぎてきたことがたくさんあったけれど、本当は気付いて欲しかったのかもしれない。

と言うよりそれは傷ついてしまう出来事だったんだけど、あなたは我慢してるんだよ、そこは怒っていいところなんだよ、と教えてもらいたかったのかもしれない。

過去を振り返ってもしょうがないことだけれど、過去を清算しなければ今の自分を見つめることもできないし、未来について考えることもできない。過去の自分に起こったことと、その時に感じていたこと、何が起こっていたのか振り返ること、それに対しての今の気づきを得る必要がある。
私はすごく遅いけれど、そのことに気がつくことができた。


訳も分からず涙が出てくるけれど、過去の自分に対して感じること、今なら考えられること、どうすればよかったのか、他にもいろいろなことを考えなくてはならないと思う。
その涙の理由ははっきりとはわからないけれど、過去の自分のために泣いているような気もする。少し感傷的にもなっている気がするけれど。

知らないうちに自分の価値を下げているように働いていたのかもしれない。
自分にとても価値があるとも思ってはいないけれど、全く価値がないとは思わない。面倒な人間にならないように、周りに合わせて動いていたところもあったように思う。
それは、実際のところ良いように使われていたなぁと振り返るところもあるからそう思うわけで、もしあの時違う選択をしていたらそう扱われることもなかったかもしれない。

たらればの話をしても仕方のない話のだけれど、必要のない気を使い過ぎたりすることで、周りに対して、良い風に思ってもらおうとしていたわけではない。ただ、そうすることが私にとって世の中で生きていくための1つの術になっていたと言う事は間違いないだろう。
だから、どこか傲慢な人やマウンティングをする人、下品な人など、自分の思う、尊敬されない人という枠はとてもはっきりしている。ある分類に対して『この人に対して自分は嫌悪感情抱く』という事ははっきり自覚できるようになったと思う。

一方でそういう人に自分はなりたくない、と言うことも思うようになっていった。特別自覚をしていたわけではないし、普通に考えればそういう人になりたくないと思うのは特別なことではないと思う。けれど、(あんなやつに自分はなりたくない)と、強く強く思うようにもなった。
嫌な事にばかり目が向くこともあったけれど、反対に、こんな人になりたい、こういう風に人に接することができる人間になりたい、こんな風に考えられる人間になりたい、という人にも目が向くようになった。
それまで自分が当たり前のように接していた人たちが、本当はとても素敵な人物であったり、とてもありがたく、魅力的な人柄の持ち主であるとも感じるようになっていった。
そんなところを大事にしなくてはならないんだなぁと、気づくことも多くなった。

年齢の割に幼いとは思っていたけれど、自分なりに考えてみた答えが今の気づきであり、またこれからも、同じように過去のことに傷ついたり清算を繰り返していく、振り返っていく作業しながら、自分が行きたいと思う人生を進んでいくのかもしれない。

なんてことを思いました。

オリジナルでいる

西原理恵子さんの本を読みました。初めて!

Amazon.co.jp: 女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと 【電子特典付き】 (角川書店単行本) eBook: 西原 理恵子: Kindleストア
全てはこれに尽きるところ。

どんな時でも 、次の一手は 、自分で考えて 、自分が選ぶ 。王子様を待たないで 。幸せは 、自分で取りに行ってください 。

これでさぁ、やってみよう!とすぐできるものではないのだけれど、何者になりたいかとかそのために必要な事が何かとか、近いところから考えて少しずつ遠くを見ていくことって必要だなぁと改めて思いました。
壮絶な西原さんのこれまでの生活や人生が「辛かった!」と記されているけれど「でもここまでようやっと生きてこられた!頑張った!悪くないよ!」って胸張って自分の選択をマルにできるのって、いいなぁ、大事な事だなぁと思いました。
先日、なんのコラムか文章か忘れたけれど「自分のことくらい自分で『よくやってるね』って認めないと」の様なことが書いてありました。中身としては、他者からの承認欲求で生きていると、それが無いと不安だし満足しないし、欲深く更に承認を求めるようになって他人の評価で生きる自分の無い人間になるんですよ、「自分は自分!」という自信や経験がなく生きることになるよ、って話です。

そういう事を経て、積み重ねとして自分の基準や物事の良し悪しや本質を作り上げて、人としても仕事人としても一人前?になっていくのかな。
一人前って、何をもって一人前になったと言えるのかは分からないけれど。自立は生活するうえでの経済的、生活力としての意味合いが強い気はしますが。

自分のことをオッケー!とするにも、今の自分ではまだまだと思うところは多いけれど、今の頑張りと能力ではこの辺りまでやれていれば上等!という部分と、周りを見渡せば全く不足だからやらねば!とバランスが上手く取れるのが理想だし、それがあって自己承認と他者承認が上手くマッチすれば最高。どちらも乖離し過ぎていると辛い。
次に進む時に、その推測とか仮説を間違えるとこれまた大変だけれど、ちゃんと自分なりに納得した答えが出せるように準備したり時間を使ったり考えて動かないと、結局は色々停滞しちゃうし、それこそ周りばかりが気になっちゃって動けなくなって、失敗でも成功でも次に繋がる反省する材料すら手に残らない。
身勝手なようにも感じるけれど、でも自分が自分のために時間を割くことは「私の人生」なのだから当然そう。承認欲求ばかりになったり、人のためだけに生きることは、最終的に自分を無くして(持たずに)、他人に自分の人生を依存させているだけなんだなぁと。

間違っても遠回りでも、迷っても悩んでもちゃんと納得して、つかみたいです。
似たようなことでグルグルしているけれど、多分今までに無いくらいグルグルしているけれど、その先に絶対的な満足できる答えがあるとは限らないけれど、今のことは忘れずにいよう。

能動的な非日常感

旅行やテーマパークでどっぷりと非日常を味わうことで、さー頑張ろう、明日からも!と、いう1つのスイッチになるし、それを定期的に出来るのが理想ダナーと私は思っています。
楽しみ、リフレッシュと解放と、目標にする事でのモチベーション…と、その効果も色々だし人それぞれでの個性も意味合いも色々でしょう。私の場合、現実はそう上手くいかず、むしろ下手すぎて解放もリフレッシュもできず鬱々しちゃうこともしばしば。

でも今日は、いつもの私からすると短い時間でも良い時間を過ごせたな、と感じて嬉しくなったので綴ります。
昨日まで6連勤だったのでとりあえず、今日1日で家事などのやる事を終えて、更に楽しみとリフレッシュの目的を果たしたい!!でなければ明日からのはキツイ!!!と思ったので、身近で普段やらない事で思いついたことや、やってみたかったことをやってみました。
この間も書いた、さとーはねるさんの1日1つ新しい事やってみようを今週分はまとめて今日ギュッとやった感じ。
①オススメしてもらったスープカレー屋さんに行く
②新しいお店の開拓
③市電に乗って目的地へ行く
④ループ市電を一周して乗る
スマホを見ない時間を作る(短時間に終わったけれど…)
⑥普段は買わない色のコスメを買う

最初、3つくらいしかやっていない…か?と思ったけれど、小さいことも含めれば少なくとも6つはありました。
新しいお店や好きなスープカレーをどこかへ行って食べることは今までもあったのですが、その交通手段と移動距離の長さが違ったので、より新鮮味も増した、良い時間!と頭も認識したのかもしれません。これが、いつもと同じようにして似たような距離の移動で、見慣れた風景の中だったら、そう大きな面白さは感じなかったのかもしれないです。

私の頭の単純さもあるのかと思いますが、新しさに触れる事でこんなにも気分が変わるのかーと、今後の非日常感獲得の良い材料を得ました。
そして、満足感を得られると、家にもサッと帰りたくなるものです。さぁ、明日もあるし早く帰って準備しよう、寝よう…と。夜な夜な遊び歩いたり、夜更かしする人は、仕事にしろ遊びにしろ、お昼の時間帯が充実していないからだ、という話を聞いたことがあるのですが、本当にそうだと思いました。

自分で自分の機嫌を取るように、満たされた時間を作ろうとすることは大事ですが、いかに健康的に満たされた時間を作るかということも大事だなぁと、実感しました。その、非日常感をどうやって作ろうか、何をしたら頭が喜ぶかを考えるのは、ちょっと楽しい経験でした。

遊び心と安全基地

こうしたら、普段の中に遊びがあって楽しみが生まれるなぁ、冒険心を掻き立てられたり変化することを楽しめるなぁと。
たまにやってみたこともあったけれど、次の日には忘れちゃっていた私なので、また始めてみようかなとおもいます。

さとーはねるさんのぶろぐから。
小さな新しいことを取り入れる - 巧遅より拙速
いろんな小さなことで成功や失敗や、良い発見好きなもの嫌なもの苦手なことの発見や再認識の積み重ねをするよう。塵も積もれば山となる、と同じようでたくさんの何でもない日々の経験がいつか何かのためになったりアイデアやヒントの欠片になるのかもしれないと思いました。そして、何に出会えるかな?というアンテナも、前以上に高くなるのかも。
こういう何気ないところから、自分を知り、自分が何たるかということを見つけられるようにもなる気がします。

あとは、馴染みの店で「いつもの」を頼み、見知った顔に会う安心感が、私自身大好きでもあり迷うとココに行こう、と落ち着く場所もあります。そこが安全基地としてあるからまた別の何かに行ってみようやってみようと変化を楽しめる気持ちや余裕が生まれるのでしょうね。赤ちゃんの安全基地はお母さんで、帰る場所はココだ!と思っていられるから色んなところへハイハイして冒険に行けるように。
そして多分、やってみて行ってみて、日常の変わらなさにホッと安堵する有り難さみたいなものにも気づくのかもしれないです。

外に出ないと、何が好きで嫌いで、中の居心地の良し悪しも分かりませんからね。

おにぎりの話

ばたついたまま5月が過ぎ去っていきま…した!仕事も全体的に皆慌ただしい。でもいつの間にか日中は夏日になったり、夜も日が長くなって、いつもより少し歩いて帰ろうかと気分転換したくなる日も多くなりました。

ポータブル完全食「おにぎり」 #死なない杯 - インターネットの備忘録

はせさんがおにぎりの話を書いておられて、私もおにぎりが好きなのと、ご飯を食べることの大事さを感じているので。綴ります。

我が家では、高校からおにぎり作りは私の役目でした。家庭科で「丸型、三角、たわら」の三種類を作り分けるテストが、確か入学早々にあってその練習のために作り始めたのがきっかけでした。
母がおかずを作っている間に、私はのそのそ起きて炊きたてご飯をおにぎり2個分アルミボウルに入れて少し冷まして、中に入れる梅とか梅とか梅(ほぼ梅だった気がする)を必要分だけ取り分け二等分に(この辺は結構母がやってくれていた気がする)。両手にお塩を刷り込み、冷ましたご飯を半分くらい手に取って、梅ポジションを空けるようにご飯を少し形作る。真ん中の梅ポジションにしっかり梅をのせて、全方面からご飯で包み込んでとじる。リズムよく回転させながら、三角型にした手に収まるように形を作っていく。普通です。

かたくなりすぎず、でも後で持った時にぼろぼろと崩れないように。食べた時にふんわりとした感じの口当たりになるように。たかがおにぎりですが、毎日握っていたら、何となくうまい包み具合で握れるようになりました。
普段自分のおにぎりしか食べていなかったので何とも思いませんでしたが、家以外で、BBQか何かの時に頼まれておにぎりを作った時に「なんかおにぎり美味い!」「お米も海苔もフツーのですよ」「じゃあ握り方上手いのかな?」と言われてから「おにぎりを作るのも上手い下手があるのか!」と、ちょっと自信になりました。

いま、昼食には休みの日に作り置きしたおかずとおにぎりを持参していますが、習慣になっていたおかげかおにぎり作りは苦ではなく、むしろちょっと楽しい作業です。
母に聞いたところ、深い意図はなく最初の「家庭科のテストのために作ったら?」の意味合いしか無かったらしいですが、おにぎり作りが苦なくできる基盤と、ご飯を美味しく食べたい基盤は家で培われた有難いもので今の自分がいるんだなぁ…。と、改めておもったのでした。

今日の、お昼もおにぎりです。冷凍保存したものを持ってきたので、具は食べてからのお楽しみ。

食べないとやって行けない

ご飯を食べる楽しみがなくなったら私は死んじゃうな、と思った週末でした。

空腹になると、自分でも悲しくなるくらいイライラするし悲観的になるし困ったことになるのは前からなのですが、雨降りの日や仕事などでクタクタになりすぎるとさらに拍車がかかる事案が今週末でした。
性欲を向けるものがないと食欲に走るって聞いたことあるけど、人間も所詮は動物ってことだわな〜と、過去に先輩に言われたこともあり、それには妙に納得しました。でもそれに納得された私って一体…。

単に栄養を取り入れるだけの意味では無くて、噛み締めて、美味しいなぁ、美味しいなぁって思って、頭も胃もぱぁっと満たされる感じが、生きている中で何だかんだ一番の幸せに君臨しています。他の幸福感も無くはないけれど、おそらく死ぬまでこれは一番な気がします。なんかこれ前にも書いた気がするけれど…。

仕事でも、やっぱり人に最後まであるものは食欲なのだなぁと感じることが多々あります。どんなに体を悪くして器官がうまく働かなくても、寝たきりになっても、生活に関わる他のことを全くしたく無くても、食事やお菓子って人の欲するものです。それ待ちわびて生きるのは、命を繋ぐものの意味あいと、幸福感があるからなのかなぁと、思いました。うまく言えないですが。
皆さんご飯もお菓子も楽しみだし、食べるためにちゃんと食事の準備でエプロンをするし、手洗いもするし、嚥下体操だってやるし、美味しくご飯食べたいよ!という気持ちは、私たちよりも強いように私は感じます。
普段から常にそんなことを思いながら接するわけではなかったのですが、自分のご飯への執着?や幸福感を振り返ると、お腹を満たして幸せになることの意味はここに繋がるなと、思いました。食べるって大事だし、美味しく食べる、食べられるって幸せで大事なことです。
人それぞれ、食べることへの力の注ぎ方が違うとは思うので、朝ごはん要らない派もいれば、サプリで済ます派、食べたいものは何でも食べちゃう派、色々だと思います。
私は今でこそ少しはマシな食生活を送れるようになりましたが、お惣菜やコンビニご飯の続く日、朝ごはんに菓子パンと甘いカフェオレが続く日もあったし、忙しい中偏った食生活で体を壊したりもしました。しっかり整った実家のご飯や、気に入って行っていたバランス良いカフェのランチで癒されて、ご飯サイコー!!!と、いう日を繰り返して今に至ります。
人生の終わりまで、食べ物が食べられて、美味しいなぁと思えて幸せ感じられる生活を送っていきたいな〜と、自分の機嫌をとるのと同時にお腹の機嫌も取らなきゃな、なんてことを思った休日でした。

コレクターの心

5月になったし連休も開けたのですが、ちょいとリズム狂う感じの出勤体制な今週です。

当たり前のことが当たり前に分からない私が、はっ!!!!としたこと。
お気に入りの食器を、フィギュアを、雑貨を、お金が貯まる度にコツコツ買い揃えて行くようなことやその過程は人生でとても必要だなぁ、ということです。

以前も書いた気がする、一足飛びになんでもやりたい、上手く行っていたい、同じタイミングで完了していたい、揃えていたい、という傾向にある私なので…恐らく当たり前に他の人が思って通り過ぎて来たことに、またなるほど…と一人納得した、ゆとりの空間In大丸。

自分はなぜ、色んなことを良いように、すんなりトントンといっぺんに完了できて、新しいステージなりレベルアップした先に行きたい!!!!と思っていたのかな〜という事を考えていました。
今までを考えると、その成功は他でもない、周りからの有難い援助や心遣いや助言などなどがあっての事ではあるのですが、自分の実力以上のものを与えてもらい、ポーンと基礎から最終形態に飛び級していたからなんだなぁ、と分かってはいました…が。それが「当たり前」になり過ぎていて、次に自分だけの力でやろうとした時に上手くいかない事にハテナマークが沢山ついて「つまづいた、もうダメだ〜」と、なっていたのは、身の程知らずだし今すぐ一足飛びに別ステージやレベルアップした先にいける!と、どこかで思っていたんだろう、と。ようは、グンと大きな力をいただきながらも、それを自分の力だと勘違いして、自分こんなものではない!ということを思っていた、ということでした。
すっきり。やっぱり私何様だし万能感半端ないです。そのおかげでのびのびやって来られたという産物もありますが、恐らく各所へ迷惑はかけまくって今に至っています。

このはっ!が生まれたきっかけは、ばらばらな2つの近況報告からの繋がり。
1つは、以前ボランティア活動のグループで出会った子の近況報告で、転職か転勤か結婚かで悩んだけれど、自分のスキルアップと目標のために地元へ転職をし、少し頑張った後に、愛する彼のところへ嫁へ行く選択をしました!と、この春の動きを記したのを見たタイミング(待ってくれる彼カッコいいな!と思ったのは言うまでもなく)。それから、GWに海外旅行をした友だちが、コツコツ買い揃えているお気に入りのメーカーの食器がまた少し購入できて嬉しい!という話。
普通に聞いていたらへーとしか思わなかったのですが、たまたまぶち当たっていた事柄と、2つの話が私の中では良いように混ざり合って「コツコツ」と「大事にじっくり取り組むこと」に繋がってひとつの答えになりました。

コツコツ取り組むことや少しずつ進むことの辛抱や、時には一進一退する事の大変さは何につけてもある事で、でもそれは何のためにと言ったら自分のためにする事で「自分が望む結果のため」に尽きるんですよね。それぞれ、上の2人は目標とする事のために、という最終的なゴールが明確で、そのための過程やコツコツの大事さ、を大切にしているなぁ、と思いました。だからということではないですが、テレビで見る何かのコレクターさんの持続性やコツコツさってそう考えると凄まじいものだと、改めて思いました…!

私に必要で足りないもの!コツコツやっていないわけではないけれど、目標のために力を注ぎ続けられる辛抱強さとか、持続性、何をゴールに見据えるかということの設定ですね。何となくやらないこと。ここまで行ったら次はこう!というもの。あとは時間のリミットの設定。何にでも通じることですね、たぶん。
やっぱりまとまりないですが、辛抱強さとコツコツと目標設定。ぼんやり日々過ごさずに、自分がやりきった!と言える、自分を充実させられる生活を送ることに重きを置いて日々生きようと思いました。