かにさん記録 blog

日々の思うこと、好きなこと、考えの整理!

フキゲンの訳

よぅし今週も頑張るぞー!と思っていましたが、気分を上手く切り替えられず、グダグダしたまま仕事してしまいました…そしてあり得ない凡ミス。相手には本当に申し訳ない事をした…。

 

というのも、何となくモヤモヤしていたりグツグツと何かが煮立つ感じがしていた周りの人との関係。まなつさんのブログから。これめちゃくちゃ私ー!

自分のご機嫌は自分で取る - 今夜、どこで寝る

私も自分の機嫌は周りの人にとってもらっていた人、というかなう、だったのをなんとか変えようと模索中。はぁ、本当になんとかしたい…自発的に何かしたり周りに目を配ろうとか、前よりもやっているつもりではありますが、急にやろうと思っても不自然で、空回りしてるなぁっていうのが自分でも分かる感じです。

私の場合は、「してもらえる」事が当たり前になっていた、という事もあるし、そうしてくれている人がいる事で自分の価値みたいなものをそこに見出していた節もありました。だから、基本的に受け身だし「なんでもいいよ」の人でした。なんでもいいよ、は大抵のことは不満も言わないし楽しんだり食べたり飲んだらするからいいよ、っていう意味ですが…書くともんの凄い偉そう…。私の好きなもの、楽しいもの持ってこーい!!!っていうことで、どこの何様?っていう態度ですね、で、好きじゃないものだったらむくれるというオチ、こりゃー仲良くしたくないタイプ。

だから自分で自分の好きなものもわかっているようで分かっていないし、あまり積極的に見つけようともしていなくて、与えられるがままに受け取って、いるorいらないと、ただ判別していただけなので、大体やる事は中途半端になっている気がします。あとは、自分の好きそうなものがどの辺にあるかとか、どこにどんな物が転がっているか、っていう事を知らない。知ろうとせずに、もらうままにその場にとどまっていました。そして、自分探しをしている人が物凄く胡散臭い感じがしていて好きではない(正直今も…)。実際の人間関係で「自分探し」に一方的に嫌なイメージがついてしまったというしょうもない理由なのですが、それすらキチンと出来ていない私には、彼ら彼女らを嘲笑う資格はないって事ですね〜…。でも、まだくだらないミエで自分探し!って言う事はまだ出来ないので、今は声に出さなくても、黙々と自分の中で勝手に進めていこうと思います。

そして、自分の好きなもの嫌なものをちゃーんと判別して、選択した結果を得たいな。できるなら不機嫌より機嫌よく毎日過ごしていたいし、そういう人間でいたい!

 

迷いが多いけれど、そういう時にこそハッ!とする言葉に出会えますね。有難い…!

いつもの世界を離れて見てみたら

今日は色んなことをやった日でした。お休みのいただいたので、絶対やる!と決めていた事ののほかに、平日しか出来なさそうなこと…銀行に行ったりとか、そういう事。

友達の結婚祝いを送ったり、すり減っていたブーツの底の貼り替えをお願いしたり、仕事で使う本を見に行ったり。ずっと悩んでいたメガネを作り替えに行ったり。気になっていたカフェでランチをしたり。カフェはしごをしてみたり。そういうこと。普段、時間がないから後で!とか、悩んで今は決められないから結局後回し、になる事が私ははたくさんありすぎます。よくどうでも良い事で悩んで決められなかったり、面倒だな〜と思っているうちに結局忘れてしまったりする。それをもうしっかりやろう!と決めて今日は午前中からよく歩きました。出費も比例しました。

今日は、周りの人の歩みの速さには極力、意識的に合わせないようにしてみようと思い、自分の歩きたいスピードでのんびりテクテク歩き回りました。その結果、いつもかなり頑張って、周りに合わせながら歩いていたってこともわかりました。まぁ普通はそうか。でも、人に合わせないで歩くスピードってゆとりもあって周りも見えるし、穏やかな気分。反対に、今日のように自分がゆっくり過ごそう、ゆとりあるなと思った時の、周りの歩みの速さがとてつもなく高速に感じて、私はいつもこの波の中の一員なんだよな〜と思いました。側でみていると、ここにのまれたくない…と、物凄く思うし、たとえ一員であっても忙しなく居たくはないんだな、この速さはイヤだ、と私は超絶マイペースで生きたい人間と改めて認識。勝手身勝手!でもそういう風な生き方を今まで許してもらえて居たって事ですね…。

オンオフでいうと、あんまり区別のない人生を送ってきたので、いつでもどちらか1つで、どこに行ってもあまり変わらないというのは多分そうしなくても受け入れてもらえていたし、そうしなくても何となくやってこられたので、ほぼ「素」で過ごすことができていた、のだと思います。いつでもケロリとしていて度胸あるよね!と言われた所以はこういう所にあるのかと。スイッチ、あるに越したことはないしそうしないと自分が疲れるな〜と、歩きながらそんな事を思っていました。

書きたいことはまだあるけれど睡魔には勝てないのでまた今度の機会に。

さーて、明日からまた頑張るぞー!

ひどく世話の焼ける、自分

何だか、平日から一変して寒いのですが…!!せっかくの休みなのにー!平日の天気が良くて、休日の天気が悪いと少し損した気分になります。でも、天気の良い休日に限って日向でゴロゴロしちゃう不思議。ゴロゴロって最高の無防備です。

 

そういえば、嬉しいお知らせが昨年秋から今年にかけてたくさんありました。確か、趣味繋がりの子の結婚します!メールに始まり、ぞくぞくと出産や婚約や式の招待…最近も、春先に趣味繋がりの子が式をやるとのことで連絡をいただきました!オメデタイ第一陣は大学卒業後割とすぐ来て、ただいま第二陣の波がやって来ているところです。その波には生憎乗れずにオメデト〜と、呑気に声を上げるにとどまる私です。

あーいいなぁ〜旦那さんとか新婚さんとかそういう幸せワード!と思う一方で、ぼんやりでも、こういう結婚生活したいな、えへへ、というイメージすら持ち合わせていない状態で相手云々はおろか、結婚もないな、というか私って結婚したいのか…?と、疑問を感じ始めました。羨ましさがある一方で、今の自分の生活の状態で結婚生活を営めるか?と言われると…昨日も書きましたが、言ってみれば、毎日自分の生活をするだけで結構精一杯。ここまでやったらオッケーという目標や次へのステップも設定していないし、この生活をし続けている限り疲弊しかしていかないかも、と危機感。そう、今更に。それで結婚してからのことなんて考えられるわけないし、今の状態で考えていたとしても、最早妄想の域なのかも、とも思います。そして妄想は妄想でしかないので現実味はないということになりますよね。悲しいかな。

頑張り続けてはいても、何故なんなためにやり続けて疲弊しているのかよく分からなくなって来たナーと、薄々思いながらも「まだ今はいいさや、仕事変えたり新しいことはしなくても」と、遠ざけて「今を頑張れば何とかなるし、毎日生活していく中で自然に変わっていくもの」と、都合よく思っていた節がありました。そこがもうね、ダメなんですけれど…ドラマや漫画かよ、誰の人生なんだよ、ってね、そうなんですよね…。

何かのためにどうにかするって、日々の仕事やその積み重ねはあっても、先にある遠い目標のためにしていれば良いのかもしれないけれど、そういうものが無くて、その日暮らしをしている毎日って、なんのために生きているんだろう、と。多分、他の同じ年代の人が当たり前に考えてやって来ていたことを、何と無く周りの人に助けてもらいながらヒョイヒョイとやって来た私は、今更そこに立ち戻っている状態です。線路を引いて!と周りに言ったわけではなかったですが、これは良いぞというものを、色んな人が好意で引いてくれた線路をあたかも自分の道のように、なんの苦労もなく(自力な所もたまにはあったと思いたいけれど)、サーッと来たなぁ…。本位だろうがそうでなかろうが、そうしてもらったおかげで今までやって来られていることを感謝したり振り返って、ちゃんと自分で選びとって進まなきゃ、ならない。はずなんですが…。

最近のつまずきが多いことは、気づきでもあるのですが、今更なことも多くて沈没気味。普通にやって来たつもりが、実は全然歩みの遅いことに気づかされて(仕事でも日常でも)、それが自分でもすごく残念だし、人より劣ることが多いことに「なんで出来ないのかな」って悩むし、どれだけ万能感に溢れていたのか!ってことに恥ずかしい気持ちもあるし。そこら辺について自分を自分で認めることにものすごーーーく、時間を要しています。にしても時間かかるなぁ。

そしてまとまらないなぁ…でもこれも、今の自分の頭の中なんだな。うーん、大胆に動くより、モゾモゾと悶えながらゴロゴロ転がりながらどちらへどのくらいいくか〜……まだしばらくかかっても、ちゃんと決めなきゃ。手のかかる自分!見捨てずに生きないと。

結婚はそれからですな〜というかまず相手ね!

無理じゃない!

昨日は暖かい1日で、いつも寒さ凌ぎに履くロングブーツもショートブーツで良いくらいでした。雪もだいぶ溶けてきました。帰り道のひんやり感は、春というよりも、秋の最初くらいにスゥッと透き通るような寒さに似ていてとても不思議な感覚。また今日は雪がちらつく1日でした。冬と春の駆け引きは続きますな。

 

昨日の出来事。同じチームの子が終業後残っていた私に、最近の自分の仕事のこなし具合や、それを踏まえて思ったことを話してくれました。その子が帰る間際であまりに唐突に話し始めたので、なんでこのタイミング…?!と、思ったのですが「誰かに話しておきたかったんです」って言われて、すごく清々しそうだったので、とりあえず今、聞き手に回る私がいて良かったと思いました。

普段なかなか成果が出なくて抱えることが多かったのを見ていたので、今ちゃんと余裕を持てるようになりかけていて、プラス仕事の中でもでやりたいことができるようになってきているようで、とても嬉しそうに話してくれました。

人によって、こなせる仕事のキャパは違いますが、今、毎日うわああぁぁっと、追われるようにやる事が迫る日々の私は、そういう意味では余裕ってないな〜と改めて思いました。経験値で仕事をして、本当に「こなす」ことも多くて、新しく何か一から考えて取り組めていることは少ないです。培ってきたベースがあって、それの応用やちょっとした路線変更くらいなもので、一から新しく立ち上げる何か、はかなりご無沙汰になっています。何もしていないわけではないですが、広がりや新しい発見の意外性みたいなものは確実に少ない。効率や要領の良し悪しで言えば計画性が他の人に比べると足りないので、その辺が問題なのもわかってはいるのですが…。そのために新しいことを考える時間を取れていなくてこなし作業も多くなってしまう循環。

周囲から環境設定されたことで上手く回るようになる場合もありますが、大方は自分で考えてやることで、多分それをできるようになっていくのが慣れていくということで、自分の容量やキャパを知ることにもなる。もし、できなければできるように工夫するか、申し立ててチームなり上司なりに何かしらの変更をお願いする、とか。うーん、見直さないと…!

ちょっと話は変わりますが、一年に1つ、新しいコミュニティに参加して人間関係の幅を広げる、趣味を増やす、ということをやってみている、という人の話を聞いた事がありました。新しい人と会ったりや新しいことに挑戦する、始めてみる、ことで常に初心者になる場に身を置いて、誰かに何か習ったり、新たな関係を作るってことをしているらしいです。個人的には、一年に1つは新しい場へ飛び込めるフットワークってすごいな!しかもそこで新しく輪に加われちゃうコミュニケーション能力すごいな!と単純に思ったのと、今の私にはできぬ!無縁なこと!という感想でした。自分のキャラクターや趣向にマッチしたところを探し当てらのも大変そうなのに、そこを見つけて、関係作りまでしちゃおうという気持ちがすごい。そういうことできたらもっともっと新しい場所に行きたくなったり、新しいことやりたくなるから出来るのかもしれないなぁ、とも思います。だから、結局はそういうことを「やってみる」ことには無縁なのでは無く、所属したい場を探す気の有無なんだろうな。無理!じゃないんだぞ!自分で、やるんだよ!

生活したいところに身をおいたり、仕事や生活全てにおいてなりたいように自分で色々な面で調整すること、段取りをすること、大事だし目先のことではこなせていても本質ついたところでやって行きたいです。

 

文章ぐちゃぐちゃですね。はぁ、見通すことの大事さは、日々色々なところで感じているつもりではあるんですけれどね、なかなか頑張らないと難しい!

節目と軌跡を追う

今日も、あっという間にすぎました。特に、イベントがあったので1日の仕事もあれれという間に、時間とともに流れて済まされて行きました。今週も折りかえしましたね。そして今日から3月!早く雪溶けて!

 

公立高校は卒業式なんですね〜私の時も3月1日でした。懐かしいなぁ。私の学校は制服がなかったので、女の子は袴やドレス、何かの衣装、みたいなのを着てくる子がほとんどでした。私も、高校の卒業式で袴を着ました。当時は相当まるまるしていたので、普通は胸辺りにタオルを詰めて上衣の格好を整えるはずなのに、持参したタオルを1枚も使わず持ち帰った気が…。

なので、大学の卒業式では袴を全く着たい思わず、周りが鮮やかな可愛い色の袴の中、1人で黒フリルのオシャレスーツを着たので、ゼミ写真や友達との記念写真の中でも若干浮いたのを思い出しました。

社会人になり、転職や異動がない限りは早々卒業などの節目を強く意識しなくなるものだな、と感じています。この時期に仕事で、締め切りに追われたり締め日がとか、決算が、といったことがあればまた違うのでしょうけれど、そうことでの時期は全く関係ないので…追われているといえば常に何かしら抱えてはいる状態ですが…!!春なので新人さんが入ってくるとなるとチームが変わったり、仕事編成が変更することで節目にはなりますが、春だからといって毎年そうなるとも限らないですしね。

なので意識的に、切り替えや気持ちを改めてスタートさせないと「あ〜もうしばらくとりあえず仕事はココでいいや〜」となるかも、と毎年なんとなく感じていました。そう思いながら結構な年が経ちましたが、なんとなくでも新しさを自分なりに感じていたことで、新人で入った時のことを少し思い返して、当時の鈍臭い仕事ぶりから私なりに学んだことや、先輩からの指導やその時に接していた仕事にまつわる人達の言葉を掘り起こす作業をしていたなぁと思います。

その期間はとっても短くて、またいつの間にか日常に戻っていくのですが「いまの自分、どれくらい頑張れてる?あの時からどのくらい役に立てるようになった?成長してる?」を、その当時や先輩を思い出すことで、自分に問うている気もします。答えは、明確に出そうとはしないのですが。多分「頑張れてるよ!成長した!」と自信を持って言えはしないから、答えが出せないのだと思われます…。周りから受ける評価もありますが、例えば何かイイね!と言われるようなこともそう無いし、寧ろ発展途上すぎて自分より下の子には多分基本しか教えられてない気がするし。

自分の実績ってこうですよ、ハッハッハ!なんて(あくまでもさりげなく)言える日がくるといいな、と思います。

積んでいけるようになろう。

フィルター付きカゴの外から知る世界

今日の帰り道、地下鉄一本逃してしまい、「遅くなったし疲れているのについてない…」と地下鉄のしっぽを見送ったところで、嬉しい出来事が!

今週のお返事です - インターネットの備忘録

お返事をいただいて、何だか中学の時の文通を思い出しました。お相手はもっともっと、憧れのはせさんなので、お返事いただけるなんて恐れ多いのですが…!!超絶嬉しいです。ありがとうございました!

 

自分の書いた何かに対してアクションがあること、肯定的だったり賛同してもらえること、議論できる事ってとても嬉しいです。

そして、私のしてきた経験や考えや感性を知ってもらい、客観的に違う目でみてもらうことで、また更に教わる事が沢山あるなぁと思いました。身の回りでそういうことについて意見を交わせる友達や家族がいれば、あまり必要ないのかもしれませんが、私は友達や親になんとなく言えないことを綴る場になっていて、我が家の、私のフィルターって如何に?!を発信しているところもあるのかも、とふと思いました。

自分の住む世界の外から見た感覚や「普通」がどんなものか、私の世界が世間からかけ離れていないかをとても気になっているというか、間違いやズレがあるのかないのか、直した方が良いことなのか、それとも個性や特性や私のいは環境のものとして良いのか…。

正しいっていうことの芯はブレないかもしれませんが、肉付けされる中での偏りや厚みによる寄り具合は各々異なっているし、それぞれで良しとされるその具合も異なります。住む世界や環境で見方が違うということを知らないことが怖いなぁと、ものすごく当たり前のことを実感して、とりあえず手足バタバタさせている、今なのかもしれません。

知らなさすぎると思っていたけれど、知らないということを知れば知るほど、更に知らない自分の浅さみたいなものを知り、まだまだ甘くて及ばないからと、考え改めようと思えるのかもしれないです。

 

うーん。

そういえば、もう2月が終わり!ここ近年の中ではあっという間に過ぎて行った感覚でした。冬のウダウダな(私の中では)この2月が、季節の中では一番苦手で山場になる事が多いのですが、今年は色んな事を考えて始めたり、意図せずそうなることもあって、いつもと違う心持ちの日が多かったです。忙しさがあっても、新鮮さの中に気合が何割か増しになれていたこともちょっと嬉しい。いろんな事が、ちゃんと春に向かっているなと感じる最近です。

手に取る答えの綱渡り

最近の日記を読み返して見て、何だか悩んでいるようで物凄く愚痴っぽくなって嫌だなぁ楽しくないというか気持ち良くならないなぁ…と、思いました。これを晒し続けるってどうなんだろうか、とも思うのですが、その時の自分の事をいつでも自分で直面化するには手頃な気もするのでそのままに。

 

今年こそは色んな本を読もう!と新年に意気込んだは良いものの、給与的には書籍代を大してかけられないのにワンクリックの便利さを利用してKindleさんをポイポイと購入した結果、Amazonからの請求が…。読み終わったら次!と気になるものや話題のものを漁るのも1つかと思っていましたが、話題の本くらいなら図書館に行くとかする方法を取るのも手だと今更気づきました。せめて一ヶ月の金額を決めよう…。

 

 今読んでいる本です。すごく丁寧で分かりやすい言葉で、語りかけられているような気分になります。羽生さんの言葉は優しいですね。そして、芯がある!と言うのとは少し違って、心が整っている、という気もしました。人柄なのかな?文章や言い回しにもそういう雰囲気を随所に感じます。

 勝負、とか選択、といったことは、どんなに小さかろうが日常でもしていることで、その中で日々選んだ道を自分たちは歩いているし、成るべくして成ったことなんだ、と。何気なくしていたことですが、日々無意識に何かに迫られていたり、結局は自分の責任で何か選び取った積み重ねの今が、この私なんだよな…。何気なくって、どうでも良いことはどうでも良いかもしれないけれど、大事なこともどうでも良いような選択をして来てしまっていたのではないかな〜と、思い改めたくなりました。

ちょっと救われた?のは、

思い出を美化するのは洒落ているかもしれないが 、自分が選ばなかった膨大な量の選択肢のほとんどは 、 「選ばなくてよかった選択肢 」のはずだ 。今は情報があふれるほどあるため 、選ばなかった選択肢に関しても多くのことを知ることができる 。そのぶん 、我々は後悔しやすい環境のなかで生きているのだ

ー過去に引きずられて判断を誤る

ということ!

知らない幸せと、知っている後悔。どちらの方が結果的に良いのか分からないし何とも言えないのですが。知らなくても良かった、というよりは選択肢にすら入る事のなかったこと、って思うことも必要なのかもしれません。自分の生活や日常でほ必要のなかったこと、としてね。それなら選んだ方を必死に良くしようともがいて掴んだ方が良い、と思いたいしそういう良い選択をできているんだから別にいいじゃない、と思える自分でもいたい。そして、そもそもの判断が間違っていても、気付いた時からまた軌道修正できるようなバイタリティは持っていたいな。

じめじめして苔が生えてくるような気持ちの時や、苔すら生えない毒づいちゃう時もあるけれど、そこにとどまっていたいとは思わないし、自分のできることで、やっぱり最善を探していたいなぁ、と思うのです。

まだ読み終わっていないですが何度も読み返して心に刻んでおきたい言葉がたくさんです。

 

はー二月はあっという間でした。春ももすすぐ!冬と春の狭間の今、結構好きです