かにさん記録 blog

日々の思うこと、好きなこと、考えの整理!

やりたいことを続ける事

ここ数日、春らしいけれど、寒がりな私はコートからまだ卒業できません…そろそろクリーニング行の準備をしたいのですが。若者はもうジャケットを着ている人が多いですが、私にはまだ無理でしたー!だって溶けかけたのにまた雪も降ったしね。早くサーっと無くなってしまえば良いのにね、でもそうすると春物不足なのでそれはそれで困るん。

さて先週は結構な困った事が徐々に山積みになってきたのでそれをチーム内でなんとかしようぜ…と、動きました。あ、それ今やるの…?という事案もあるけれど、それは仕方ないので頑張ります。

 

題名について。時には難しいこともあると思うけれど、自分のやりたいことをやり続けられるって素敵だなぁと思いました。それは手放しに、自由にやりたい放題ということでは勿論なく。

というのも、職場の子がやっている声楽のコンサートへうかがい、それを思ったのです。いつもとても謙虚で、頭の回転が速く仕事も勿論デキる子なのですが、仕事と奥さんとしての役目も果たしながら、ずっと続けている声楽を、発表会で定期的に発表をできるレベルにスキルアップさせられ続ける事。やらなくてはならないことは多分、たくさんあるし、やりたいこともたくさんあるだろうけれど、優先順位をつけたり取捨選択をしていく中で、本当に自分の欲しいものや必要なものが選ばれていって洗練されているから、大事にしたいものを大事にできるし、譲れないものが生まれてくるんだろうと、思いました。当たり前に皆がしている、普通のことなのかもしれないけれど、吟味をするとか、じっくり取り組むってことの大事さを彼女の歌を聴いて感じました。私に足りないもの。大事にしていることだからこそ、心動かされ、うったえるものがあったんだなぁと。

終わった後で、出演者の方々がお客さんをお見送りしていたのですが彼女の顔を見た瞬間、なんだかもうその時の自分でもよく分からない謎の号泣をし、凄かったよー!凄かったよー!を連発して帰って来るという…(お疲れの所本当に悪い事したわ…)。でもそれくらいに、衝撃的というか感激もしたし、好きな事をし続けるパワーや何にも代え難いものを持つことの素晴らしさを実感しました。

何かのために頑張ろうと思う気持ちの強さや努力したいと思うことが、私にも欲しいし見つけなくてはならないなと。一番身近な仕事は確かにそれに当たりやすいものではあるかなと思う一方、今のままで続ける事が良いのか、続けながら見つけるのかはたまた全く違う事をするのか、再確認と設定しようと思います。

この歳になって考える事じゃないのかな〜と、思うことも多いですが、何も気づかずに通り過ぎなかっただけ大きくなれるチャンスを得た!はず。

良い刺激を受けた1日だった〜。自分でやることは吟味してからで良いと思うけれど、見るもの、知るものの数は多いに越したことはない!気持ち新たに過ごせるパワーをもらいました。明日からもまた頑張ろ!

チームチーム!

仕事を進めるにあたってのおはなし!てんてこ舞いの私の救世主。

ここ2年くらいは、チームが変わる度にツーカーで通じる情報の深度で話ができる事やお互いがお互いの事を考えて助け合うとか配慮し合うってことの有り難さとか大事さをひしひし感じているところです。新しいチームであまりにそれがうまく行かなくて、試行錯誤していたりなんとかやっていかないと!ともがく日々ですが、やっていることは間違ってなかった!良かった…けど上手くことは進まぬ!!と思ったお話。

はせさんのブログより

チームが崩壊しうる要素3つを備忘しておく - インターネットの備忘録

お互いにタスクがあり限られた時間の中で、お互いの思う、意識してほしいな〜と思う深さまで物を考えるのはなかなか大変だなぁと、私自身もやったりやられたりする中で思います。でもその「なぜ」そうなるのかを振り返り省みることは次への一歩だし、そうしないと進歩って本当にないなとしみじみ。

なんの意味で、何のためにやるの?必要なことか?を考えるのは、共通認識を持って同じところに目的や目標を持って、それらを達成させるために必要だから。理解が進まないと先に進まないんだ!こんなにも…!とここ最近めちゃくちゃ感じたことがあって困っておる、まさにその最中でした。

何事もはーーーーーいと、受け流して済ませて良いことって多分1つもないけれど、いちいち全部を考えて吟味するには身も時間も足りなくなるから、その作業は厳選されるかもしれないのだけれど。でも、自分の出来うる限りのことを考えて見出すってこと位はできると思うんだ。

とにかく順番を分かってこなせればOKという事で切り抜けられたら何にも意味がないし身につかない。ちゃんと完成した後でも、成功して終わり!じゃなくて成功の理由が何か知ることが大事。若しくは失敗した時になぜそうなったか?振り返る、省みることが大事。無事に成功した時に私は「良かったできたできた!じゃあ次のタスク!」で安心してそのままポーイしがちだったのを、こういう理由で良かった!と明確にさせる大事さが次の仕事の仕方や準備にも繋がっているなぁと思いました。失敗した時はあれこれ考えるし、慎重にもなるけれど、成功しようが失敗しようが何でも何気なくやらないこと。結局はこれに尽きるのかな。

あとは失敗した時に、話す中で互いの認識意識の違っていた!ってことなど、いろんな意味での「えっ?」てなるあの感じ。振り出しに戻ったなーと軽く心折られる瞬間は、お互いの精神衛生的にも回避したい…。

持つ情報粒度に関しては、仕事の上では私の場合は全部を共有できていることが理想で、それが一致していればめちゃくちゃスムーズに進みます。なのでなるべくコミュニケーションは取れるように心がけていますが、その理解度はそれぞれなので、たまに結びついた、生きた情報になっていない時もあって難しいです。お互いの共通言語のようなものが、コミュニケーションを図る中で構築されて、精度の高い情報にしていきたいです。

 

チームで一緒に仕事をする中で、一方には伝わるのになんでこっちには伝わらんのー!とかそんなばかなー!?ということも今はまだしばしば起こりますが、私の普通と受け取り手の普通って、しばしば大きく違うんだ、気をつけよう、意識的にフォローしよう、と自分の伝える時の頭の中の整理や理解ということに重きを置いて話す意識をしよう、と改めてかんじます。説明していると、なんて言ったら伝わるかな〜言葉のチョイスにただただ困る…ということもあって、語彙や比喩や言い換えって本当になくてはならないツールだなぁ、もっと身につけなくてはならないなぁと思います。

 

日々試行錯誤ですが、やりやすいなぁとか分かる!次こうしよう!と、お互いに思って行動に移せる、こうしたいんだよね!って言えて、そうやってお互いに仕事を進めていきたいなー。理想でありできなくはないはず。

さーて、金曜日も頑張ろー!

春らしい。

暖かくなってからの三連休!特にこれといって大きな予定はなかったのですが、暖かい!晴れている!春!というだけで気分が良かったです。

連休だーいと言いながら、普通の週末と大きくは変わらず…。でも、ご無沙汰のスープカレー屋さんに行ったり、レースカーテンとタオルケットを思い切って洗濯したり。ただ、洗濯したはいいけれど、既に小物を干していて、大物タオルケットを干す場所がなかったのを全く考えておらず、洗濯機の送風機能で6時間くらい頑張ってもらいました…。浴室乾燥ほしい!何してるんだろう、アホすぎるなぁ…と思いながら、一通り終わった後はモンテールの抹茶ミニシューをもぐもぐ。モンテールのシリーズ好きです。こういう普通のことをしていて、晴れた外を見て、穏やかだな〜と思える時間があって、それだけでも少し疲れが回復しました。

冬のうちに寒さや湿気でじめついた(身も気持ちも部屋も)部屋を一気に解放し、3日連続で長ーい時間に渡って外の空気にさらして、少しはカラリとできたかな?と。

ただ、何となくまだ部屋に何かがこもっているような気がしているのですが、何がこもっていて、一掃したら良いのか、洗い流すのか干すのか、何をしたら良いのかは分からず…。以前、断捨離をしよう!とこころに決めて取り組んだ時にはかなりのものは手放してスッキリはしたのですが、整理しきれていないのか、手放した方が良いものがまた出てきているのか、若しくは手放したりないのか…。なんだろうな。部屋の中をぐるりと見てみて、気になる箇所は改めて向き合う必要のあるところなのかもしれないですね。

ちなみに、話は少しずれますが。去年私が断捨離しよう!と心に決めた時に読んだのはこんまり先生の本でした。

 

人生がときめく片づけの魔法

人生がときめく片づけの魔法

 
人生がときめく片づけの魔法2

人生がときめく片づけの魔法2

 

 この2冊。1冊目があれば、片付け自体は済ませられました。必要のなくなったものを手放して必要なものを残すこと、ものの居場所を決めること、細かな片付けの分類など分かりやすかったです。2冊目は、自分の手元に置くモノを考えること、それらとの付き合い方や日々の生活の仕方、人との付き合い方と、ものの扱い方を考えて、更に片付け後の生活を考える、という後日談的な要素がより盛り込まれています。断捨離した!必要のなものはこれ!理想の部屋を作っておわり!というよりは、アフターケアまで丁寧にされている感覚。部屋を綺麗に保つことや、好きなものに囲まれていられることの幸福感や、それが続けられることって平穏な日々だよ、と教えてもらったように感じました。

やってみての感想としては…自分の手放すものの多さに驚きでした。こんなに物あったの?!活用できなくてごめんなさい!おせわになりました、ありがとうございました!随分ぞんざいな扱い方をしてごめんなさい!などなど。全く思い入れのないはずの洋服を捨てるゾーンに分けた時にホロリと涙が流れたりもして。キチンと自分が持っていたいものを持とう、という気持ちになれました。今までいくら片付けても何だかあまり意味のなかった私でも、キレイさはある程度保たれていると思います。疲れた時はゴチャッとなることはありますが、それもある一ヶ所だけ、といった具合ですぐに現状復帰させられるようになったので「うわー!!!こんまり先生すごい!!!」と、職場のお隣さんにもオススメした程でした。片付けいらぬ、というひとでも、読み物としても面白いのではないかと思いますよ。

季節の変わり目や時期の切り替えって、動く理由を作るのに最適だし、新たな気持ちを作りやすいので、よい機会でもありますね。うーん、また改めて読み直して、部屋も見直して、春のスタートに備えよう。

また明日から、仕事!連休明けも頑張りましょう。

手遅れとは言わせない。まだいわない。

気がつけば、ブログを書き始めて2ヶ月があっという間にたちました。速いなぁ。雪深かったのにもう春ですね。

 

仕事で映画を見る機会があるのですが、今回たまたま、有村架純ちゃんと福士蒼汰くんの映画をみたのですね。高校生の青春キュンキュン映画!王道な感じの作品です。随所にドキドキポイント満載で、ウフフってなります。

普段自分では見ないもので、借りたいと思う種類でも無いので見ていてキュンキュンするということもたまには良いものだなぁと、甘酸っぱい気持ちの楽しさを思い出しました。それと同時に、私ってこの道を過去、学生時代に通って来ているだろうか??と、振り返ってみました。学生時代に好きな子がいて、話せるだけで嬉しいとか告白するとか付き合うとかそういう事。確かにあったのはあったけれど、正直良い思い出というか、先に繋がったとか、実ったってこと無い!それをまさにこの映画を見て、追体験しているのでは無いかー?!と、気づいてしまいました。追体験に関しては、私の場合には、ですが。あんな素敵なことあったなぁ、って思い出に浸りつつ見るというよりは、こういう素敵な青春時代過ごしたかったなぁ、って気持ちの方が強いかも知れない…。

 

学生時代にやって来たことは後悔していないし、それなりにおかしく楽しく過ごして、なんとかなんとかやって来た結果今の私があるので…それを否定したくはない!という気持ちも含めですが。

またその、追体験を映画やドラマでしているのかも、と考えると、私が通って来た道の中で達成されるとされている、ライフサイクルってどのくらい達成されて前に進めているのかな〜と、考えました。それで、思い出したのが学部で習ったエリクソンの発達課題。それぞれの年代年齢枠で、達成されていたら幸せに暮らせるであろうという課題があるよ、という考え方。エリクソンの場合には、成功した時と失敗した時とどちらも、経験としては大事なことで、両方を経験して統合させることでよりスムーズに前に進めるよ、というもの。物凄くざっくり言うと、そう言うものです。今の時代にもさほどズレがないんじゃないかなぁと思うので、そう考えると理論とか哲学的な学問て凄いですよね。

私がこれを学部で勉強した時には、発達課題への難しさや困難さって思う事はなく、多分深く意識することもなかったし、そんなことって起こるのかな〜と思う程度でした。でも、この理論で言われるような、各々の年代で乗り越えたり達成されたりすると良いと言われる、当たり前のことを当たり前にすることの難しさとか、その「当たり前」が本当に当たり前なのか?ってことを考えさせられます。その年齢、年代でできなかったことは、後から後から追いかけるように達成して行くことでも、遅くても自分のペースで自分の納得いく形で人生を積み重ねて行けることになるので、根気強く付き合って向き合ってくことが必要っていうところは何だか救われる部分で「まだ手遅れじゃない!」とホッとするところでもあります。それぞれに対して丁寧に向き合い、悩んだり困ったりしながら、少しずつその坂道を登っていくことが自分を形作るものになっていくという意味では、自分の持つ力を信じてあげようよ〜気長に〜と、言われているようでもあります。習ってからしばらーく経った今になって、自分も救われることだったなぁ、と改めて思いました。

生き直しって言葉はあまり好きではないけれど、人生何度でもやり直せるし、自分が諦めない限りはそのチャンスはあるんだよ、ということを再確認させられました。というか。そういう言葉が今欲しかったのかも!

 

さーて、連休だーい!

自分ワールド

カンブリア宮殿見ていて、お仕事すっっごい熱心で、自分の作るものや良いと思った物をみんなに知って欲しい!!という気持ちが溢れている人のそれに対する純粋さとか無邪気さって最強だな、と思いました。自分の生活や今の安定投げ打って(という感覚すらないのかもしれないけれど)、そして周りをしっかりまきこめる、巻き込んじゃうバイタリティ。その話の中では、家族と住むお家にお金をかけるよりも、新しいお店を出店させたりすることにお金を使ってしまうって話でした。私から見たら、奥さんと子供がいて、家が寒いからとダウンを着込んでコタツで夕飯囲むっていうのは団欒ぽくもあるけれど、それで生活しているお金を稼ぐとは言え、それは我慢すべきところなのかなという疑問も浮かんで来ていました。赤の他人の私が言うことでは無いのですが。それはさておき。

そこで思ったのは、何かに打ち込んだら、何かを諦めたり犠牲にしなくてはならないんだろうか、犠牲と思わなければ、そうは取られられることもなくて結果を受け止めるだけなのかな。1人でやるなら例えダメでも犠牲なったとしても1人だけれど、巻き込む人がいた時にはその犠牲の意味は全く違ってくるものだし、背負う何かもそのぶん大きいはず。

でも、打ち込めるだけの何かなのだから、他を差し置いてできるそれ以外を考えた時に「諦める」とか「犠牲になる」って言葉すら出てこないものなのかな??これは良いに違いない!一番良い選択をしているのだから、進むべき道を行くのみ!ていうこと?そこまでの自信や説得力を持っていなくても、芯があってこれから肉付けしていければよい!これから実績を作るのだからまずは動くんだ!ていうことも含むのかしら。でも、打ち込んで何にもならなかったら?うーん。

私は、多分何かを新しく始めたら何かを手放したり無意識のうちに手放して来たことが多くて、ずっと手に入れておきたいものがそう無かったという事かもしれないです。執着がないというか。淡白で薄情というか。何かにつけてやらなくてよい理由を見つけたいだけなのかも知れないけど。あとは、打ち込んだ先に何も無かった時が虚しいっていうのも嫌だからなのかも知れないです。

学生時代にやっていた部活が良い例で、部活には打ち込んだけれどそれだけで、他のこともそのモチベーションをうまく利用して力を注いだり頑張れる源にできなくて、終わって引退してみたら、空っぽ。次何しよう…ってすごくポカンと穴が開いてしまったんです、そう、今思えば燃え尽きていました。それ以外何もやっていなかった!受験勉強もまぁちょこっとやったくらいで、力を注いでいた部活の分は全くうまくシフトできなかったんです。1つ終わればプツンと断線。何かにつなげて使う術を勉強や部活、人間関係においても下手くそすぎてできなくて、ある一定のところでプツンと切れてしまうことが多い、いやほとんど!

打ち込んで、これだけやったんだから!という自負みたいなものを感じることもなかったかも知れないなぁ。これじゃまだダメだとか嫌だとか何かにつけて、理想やプライドだけは高く掲げているから自分への、よし!も無くて来たのかなぁ…。何より、我慢したりした甲斐のあるものにも出会えてないっていうのは大きいかも知れない。

なんて事をおもいかんがえました。

にしても、熟成肉、美味しそうでしたー!あと一日、頑張れば連休だー!早くお花見焼肉したいなぁと、じゅうじゅうなお肉と網をガン見でした。

書くことについて、再び

職場用の水筒パッキンが見事にズレてはまっていたので、朝から鞄が大惨事…!!それでも早めに気づいたのでまだ良かったのかな〜。でも、お財布まで濡れてしまってコレドウシヨ…と固まりました。キズ含め、綺麗にしてもらえるところを探そうかと思います。週中、引き締まってこー!!

 

日々、何か書けることはないかなーと、すごく意識してはいないのもあって、毎日そうそう書きたいこととか記しておきたいことってないな…アンテナ低いんだろうか、と思うと同時に、それだけ変化なくさーっと毎日過ごしてきちゃっているなぁとも思ったり。興味関心が薄いのかしら。でも、何か書きたいという気持ちは毎日あるので、それなら何かしら書けることを探せば良いだけの話なんだろうけれど。仕事のことでも生活のことでも、赤裸々に書くのは何だか違うけれど、それを般化して書けるまでの話の広げ方をするのって難しい!ただの日記なら秘密ノートに殴り書こうが良いだろうけれど、そうでなくてここに書く意味。うーん。前にも書いたけれど、ある程度意識して書くからこそ客観視も生まれる?だろうから、それは良い点なのかなぁとやっぱり思うし。

 

あ、そういえば、朝のニュースで小田和正さんが特集されていて、今年70歳になられるとか…!見えないし若いしなんであんなパワフルなんでしょうってくらいに相当若い!アリーナコンサートに一回行った時もあちこち走り回っていて、なんでそんなに体力あるんだ!!と本当に驚きました。オカンのお腹の中にいる時からオフコースを聞いて、文字通り育った私なので勝手に親近感があり…我が家では「小田さん」と近所のおじさんを呼ぶかの様に呼ばれます。

歌うキーは、原キーのままで歌っていて、そのキーが歌えなくなったら身を引く、ように思っているとのこと…確かに、歌っている時って昔の曲もほとんどキー変えずに歌っているからか、全然違和感なく耳に入ってきます。アレンジで変えていたりはするのかもしれませんが。70歳になってもなおストイックで、力の限りを歌に注いでいることも、そのパワーが持続されていることも、それをなんでもないかの様にやっちゃっていることも、常人じゃない…と思う私は甘ったれでしょうか。いや、そのストイックさやプロ精神、爪の先ほどでも真似ればワンランクアップした結果を得られるのかもしれないですね…。本当に感心する、ストイックさ。そこに力を注げる自分の人生をかけた仕事の結晶が、あの歌の数々ってことですからね〜本当にすごい…(何度も言います)。

ものすごくどうでも良い事しかやっぱり書いていないけれど、書きながら、書きたいことを少しずつ記していこうと思います!

切り替えコンテンツ

最近、頭の中のことを思うまま徒然書いていましたが、別の話題。週末の気分良い波のまま、週初め!でしたがやっぱりなんだかんだで終われて昨日も時間にしがみついて一日が終わりました。

やはり、いつまで経ってもコントロール難しいなぁ。次々来ることこなすばかり。立て直してリセットしたつもりがあんまり効果なかった…!とりあえずそれに気づけたので、今後の改善にということで良しとしよう。

でも、TSUTAYAで借りてきたCDをスマホに入れたのでリスト更新されて行き帰りの切り替えは良い感じ。今まで、疲れた時、元気のない時には静か〜なヒーリング系に限るものだ!!と思ってゆらぎの音、みたいな癒し音楽を聞くことが多くあったのですが、ロックやポップスでも今の元気具合なら受け入れられるのでむしろその方が気分をガラッと変えられて合っていました。自分は歌っていないけれど、発散されるような感じ。脳内ライブが開催されているかカラオケをしているイメージで、ちょっと小旅行できるようで楽しい。便利な私の頭です!前書いた、オーサムシティクラブの4枚目をやっと借りられてホクホク。ただ、借りた時の棚がサチモス好きな人はこちらもどうぞ!みたいなくくりになっていたのが不覚…!サチモスから流れたわけではないしサチモス好きなのも何だか流行り物に飛びつくみたいで嫌だ〜と思いながらお店で変な葛藤。サチモス嫌いじゃないしむしろ好きだけれど、ただサチモスからの流れ者じゃないもん!!という意地というか主張をしたいというか。複雑というか面倒な、主張。

あと、音楽つながりでもう1つ。職場で声楽をやっている同僚のコンサートチケットを受け取ったので、楽しみが増えました。そういう機会がないので単純に楽しみなのと、私は普段の生活で体験できないことを、周りの人によってその機会を得られるってことがラッキーだなぁと思います。音楽に関するイベントごとが今月来月と続くので、毎月の楽しみと息抜きを目標にして頑張ろーう。楽しみがあるとやっぱり前に目線は向きますね。さぁ今日こそ追われすぎずに居られるように!