かにさん記録 blog

日々の思うこと、好きなこと、考えの整理!

生き方の付き合い方

久しぶりになってしまいました。もう少し自分の頭と向き合う時間を作りたいな。

 

自分の立場とか両親との事で考えたら悩むことも多いのですが、色々あって今、少しずつ自分で「生きてる」感じを得ているというか今までが「生かされている」感に近かった、と感じています。とは言っても、周りの人から色々と助けてもらいながら、支えてもらいながら生きていることに変わりはなく、これまでもこれからもそれは有り難いことに続けていただけそうで、そのお陰で「生きている」から、生かされているに近いのかもしれないのですが。自分が生かされている部分と、自分で地に足をしっかりつけて踏ん張る部分の割合や「何も出来ない子」と思われることの抵抗感と、自分でやれることはこれ!枠を決められて来たことへの抵抗を示し、反論しつつ体感しています。

今までの生活に甘えとか緩さはもちろんあったけれど、とことん、離れてみよう、私のやりたいようにやらせてもらおう、自分の自立に責任を分かりやすく取ろう、としてみています。これが既に子供のやることなのかもしれないですけれどね。でも本当に1人になった時に、自分がちゃんと生きていけるための術を身につけて実践できることが、親離れであり自立だろうと私は感じているので、恩知らずなやり方のことも多々あるとは承知で最近は生活しています。やっぱり母的にはあまり気にくわないようで、今までしてあげてたのに要らないって何!困ると思ってやってたことなのに!と、言われてなんか…やっぱり親不孝だなぁ…と思いながらいることも間違いありません。でもこのまま楽すぎる生活ってやっぱり自分の今後にも支障でてくる!しかも親にもよくない関係性だな、これって、いつまで経っても良い距離で大人の付き合いができない親子関係だな、と何かと子供役でい続けてきたことの違和感を解消しようとしているところです。私側の楽に済まそうとする怠け具合もそうだし、親側のややお世話焼きなところの加減。周りからはとっても遅いですが多分、親離れというのかな。

親との関係はこれからまたいっぱい気づくこともあるし、きっと絶対後悔する出来事があると思います。今の距離感も「もっと側にいれば良かった」ってなるかもしれないし、逆に近いままだとお互い鬱々してしまったかもしれないし。この先時間がたたないと分からないけれど。でも学ぶことは間違いなくあるし、そこから好転した関係でちゃんと良い距離感で付き合えるようになりたいと、思います。そうなった時には「生きてる」感覚にまた違いを感じるようにもなるのかな。どうなんだろうな。

 

はーそれにしてもテレビで見る東京の桜、すごく綺麗でびっくり。一度は時期を合わせて旅行に行ってみたいものです!

「お疲れさま」の意味

わーもう4月!時の流れは早い…。土日休みだけれど英気を養ってまた月曜から気持ち新たにスタートするぞー!そういえば、エイプリルフールなのに何にも面白い嘘ついてない!

 

私ごとですが、何気なく便利な言葉なのかもしれないけれど、平日休日、どんなシチュエーションにも関わらず「お疲れ様」とか「おつ〜」と常にメールやラインや電話の冒頭に持ってくることに結構違和感があります。あれってなんなのだろう??

言葉の意味だけ取ると、例えば休日にちょっとした用事で友達と連絡をとったとして、文章の冒頭に「おつかれ〜」って来ると、疲れてないよ!!!とか、業務連絡でもないのになんでおつかれ…??と思ってしまうってことです。

平日の仕事終わりに例えば連絡を取ったとしたら、今日も仕事お疲れ!の意味で通じるとおもうけれど、たまにその意味も成してないなー枕詞的に使ってるなーという「お疲れ〜」にも遭遇するので、その意味で使われるとやっぱりあまり好きではない。

「おつかれさま」は、時間問わずつかえる、どんな状況でも大抵の人には通じる便利枕詞みたいなものだと思います。が、挨拶の場合なら普通にこんにちは、とかこんばんはとか、おはよう、久しぶり!とか元気にしてる?って言えば良いのになぁと思うのですよ。

何気なく、無意識に使う言葉なのかもしれませんが、意味ない言葉で繋ぐなら意味ある言葉を発すれば良いのになぁと。それが普通だから使ってる!とか業界や社会人では当たり前だから!ということもそれはわかるけれど、いつでもその言葉一言で片付けるのって、コミュニケーションをちょっと怠けているんじゃないのかなーと思う私は捻くれているのか?と思って、Google先生で検索して見ました。同じことを疑問に思っている人は知恵袋などでチラホラいましたが、それに対する回答が結構冷たいというか…多分根本的に考え方が違うんだな、って、回答がほとんどでした。そんなこと思うのは心が狭い!とか、言ってくれるだけ良いだろうとか、こちらで良いように解釈をすればいい、とか、社会人では当たり前だから、とか。

回答をみた個人的な感想としては「ふーーーん…そうなのか…」でした。友達だろうが上司先輩の場合だろうが納得いく回答している人は見当たらなくて、なんだ、使う側は結構テキトーに使っているんだな、ということしか納得はできませんでした。

手紙やハガキの冒頭に書くように、季節の挨拶をしよう!とか、した方が良い!って言うことではなくて、情緒的なやりとりが言葉にあるなら、つかみの部分て大事なはずだし、受け取り手の事を考えて文章をしたためるはずだから、発信する言葉にどんな意味があるのかをもっと考えて使えたらいいなぁ、と。私自身が使う言葉でも、周りにとって嫌じゃない言葉がけをして行きたいなーと、一通のLINEを受け取り感じたのでした。

どうなんだろう?これってどうでも良いことで、心が狭いのかな?うーんうーん…。誰かえらい教えてください!!!

たわいないこと

もうすぐ3月も終わりますね!1年の3分の1が終わっちゃいます。歳を重ねるごとにあっという間に過ぎる時間。過ぎていった跡を見ると、惜しいような戻りたくはないような。

どんな道に行っても後悔しない道ってないのかもしれないですが、どこへ進んだにしても、自分が満足できる道に進めるような選択はして行きたいなぁと、やっぱり思います。

そう考えると、やりたいことや好きなことはちゃんと見つけて発掘したいし手にも入れたい。自分の今の役目との狭間で葛藤することもあるけれど、妥協しすぎず芯を作ってどしんと構えよう。現実味をもって、だけど少し夢見がちでも理想も忘れずに。日々を送ることだけに忙殺されず、ちょっとの良いことで元気に、ほっこり嬉しくなれる余裕を持っていられるように。

気持ちよく帰り道に散歩出来るくらいの季節に早くなってほしいなー。

やりたいことを続ける事

ここ数日、春らしいけれど、寒がりな私はコートからまだ卒業できません…そろそろクリーニング行の準備をしたいのですが。若者はもうジャケットを着ている人が多いですが、私にはまだ無理でしたー!だって溶けかけたのにまた雪も降ったしね。早くサーっと無くなってしまえば良いのにね、でもそうすると春物不足なのでそれはそれで困るん。

さて先週は結構な困った事が徐々に山積みになってきたのでそれをチーム内でなんとかしようぜ…と、動きました。あ、それ今やるの…?という事案もあるけれど、それは仕方ないので頑張ります。

 

題名について。時には難しいこともあると思うけれど、自分のやりたいことをやり続けられるって素敵だなぁと思いました。それは手放しに、自由にやりたい放題ということでは勿論なく。

というのも、職場の子がやっている声楽のコンサートへうかがい、それを思ったのです。いつもとても謙虚で、頭の回転が速く仕事も勿論デキる子なのですが、仕事と奥さんとしての役目も果たしながら、ずっと続けている声楽を、発表会で定期的に発表をできるレベルにスキルアップさせられ続ける事。やらなくてはならないことは多分、たくさんあるし、やりたいこともたくさんあるだろうけれど、優先順位をつけたり取捨選択をしていく中で、本当に自分の欲しいものや必要なものが選ばれていって洗練されているから、大事にしたいものを大事にできるし、譲れないものが生まれてくるんだろうと、思いました。当たり前に皆がしている、普通のことなのかもしれないけれど、吟味をするとか、じっくり取り組むってことの大事さを彼女の歌を聴いて感じました。私に足りないもの。大事にしていることだからこそ、心動かされ、うったえるものがあったんだなぁと。

終わった後で、出演者の方々がお客さんをお見送りしていたのですが彼女の顔を見た瞬間、なんだかもうその時の自分でもよく分からない謎の号泣をし、凄かったよー!凄かったよー!を連発して帰って来るという…(お疲れの所本当に悪い事したわ…)。でもそれくらいに、衝撃的というか感激もしたし、好きな事をし続けるパワーや何にも代え難いものを持つことの素晴らしさを実感しました。

何かのために頑張ろうと思う気持ちの強さや努力したいと思うことが、私にも欲しいし見つけなくてはならないなと。一番身近な仕事は確かにそれに当たりやすいものではあるかなと思う一方、今のままで続ける事が良いのか、続けながら見つけるのかはたまた全く違う事をするのか、再確認と設定しようと思います。

この歳になって考える事じゃないのかな〜と、思うことも多いですが、何も気づかずに通り過ぎなかっただけ大きくなれるチャンスを得た!はず。

良い刺激を受けた1日だった〜。自分でやることは吟味してからで良いと思うけれど、見るもの、知るものの数は多いに越したことはない!気持ち新たに過ごせるパワーをもらいました。明日からもまた頑張ろ!

チームチーム!

仕事を進めるにあたってのおはなし!てんてこ舞いの私の救世主。

ここ2年くらいは、チームが変わる度にツーカーで通じる情報の深度で話ができる事やお互いがお互いの事を考えて助け合うとか配慮し合うってことの有り難さとか大事さをひしひし感じているところです。新しいチームであまりにそれがうまく行かなくて、試行錯誤していたりなんとかやっていかないと!ともがく日々ですが、やっていることは間違ってなかった!良かった…けど上手くことは進まぬ!!と思ったお話。

はせさんのブログより

チームが崩壊しうる要素3つを備忘しておく - インターネットの備忘録

お互いにタスクがあり限られた時間の中で、お互いの思う、意識してほしいな〜と思う深さまで物を考えるのはなかなか大変だなぁと、私自身もやったりやられたりする中で思います。でもその「なぜ」そうなるのかを振り返り省みることは次への一歩だし、そうしないと進歩って本当にないなとしみじみ。

なんの意味で、何のためにやるの?必要なことか?を考えるのは、共通認識を持って同じところに目的や目標を持って、それらを達成させるために必要だから。理解が進まないと先に進まないんだ!こんなにも…!とここ最近めちゃくちゃ感じたことがあって困っておる、まさにその最中でした。

何事もはーーーーーいと、受け流して済ませて良いことって多分1つもないけれど、いちいち全部を考えて吟味するには身も時間も足りなくなるから、その作業は厳選されるかもしれないのだけれど。でも、自分の出来うる限りのことを考えて見出すってこと位はできると思うんだ。

とにかく順番を分かってこなせればOKという事で切り抜けられたら何にも意味がないし身につかない。ちゃんと完成した後でも、成功して終わり!じゃなくて成功の理由が何か知ることが大事。若しくは失敗した時になぜそうなったか?振り返る、省みることが大事。無事に成功した時に私は「良かったできたできた!じゃあ次のタスク!」で安心してそのままポーイしがちだったのを、こういう理由で良かった!と明確にさせる大事さが次の仕事の仕方や準備にも繋がっているなぁと思いました。失敗した時はあれこれ考えるし、慎重にもなるけれど、成功しようが失敗しようが何でも何気なくやらないこと。結局はこれに尽きるのかな。

あとは失敗した時に、話す中で互いの認識意識の違っていた!ってことなど、いろんな意味での「えっ?」てなるあの感じ。振り出しに戻ったなーと軽く心折られる瞬間は、お互いの精神衛生的にも回避したい…。

持つ情報粒度に関しては、仕事の上では私の場合は全部を共有できていることが理想で、それが一致していればめちゃくちゃスムーズに進みます。なのでなるべくコミュニケーションは取れるように心がけていますが、その理解度はそれぞれなので、たまに結びついた、生きた情報になっていない時もあって難しいです。お互いの共通言語のようなものが、コミュニケーションを図る中で構築されて、精度の高い情報にしていきたいです。

 

チームで一緒に仕事をする中で、一方には伝わるのになんでこっちには伝わらんのー!とかそんなばかなー!?ということも今はまだしばしば起こりますが、私の普通と受け取り手の普通って、しばしば大きく違うんだ、気をつけよう、意識的にフォローしよう、と自分の伝える時の頭の中の整理や理解ということに重きを置いて話す意識をしよう、と改めてかんじます。説明していると、なんて言ったら伝わるかな〜言葉のチョイスにただただ困る…ということもあって、語彙や比喩や言い換えって本当になくてはならないツールだなぁ、もっと身につけなくてはならないなぁと思います。

 

日々試行錯誤ですが、やりやすいなぁとか分かる!次こうしよう!と、お互いに思って行動に移せる、こうしたいんだよね!って言えて、そうやってお互いに仕事を進めていきたいなー。理想でありできなくはないはず。

さーて、金曜日も頑張ろー!

春らしい。

暖かくなってからの三連休!特にこれといって大きな予定はなかったのですが、暖かい!晴れている!春!というだけで気分が良かったです。

連休だーいと言いながら、普通の週末と大きくは変わらず…。でも、ご無沙汰のスープカレー屋さんに行ったり、レースカーテンとタオルケットを思い切って洗濯したり。ただ、洗濯したはいいけれど、既に小物を干していて、大物タオルケットを干す場所がなかったのを全く考えておらず、洗濯機の送風機能で6時間くらい頑張ってもらいました…。浴室乾燥ほしい!何してるんだろう、アホすぎるなぁ…と思いながら、一通り終わった後はモンテールの抹茶ミニシューをもぐもぐ。モンテールのシリーズ好きです。こういう普通のことをしていて、晴れた外を見て、穏やかだな〜と思える時間があって、それだけでも少し疲れが回復しました。

冬のうちに寒さや湿気でじめついた(身も気持ちも部屋も)部屋を一気に解放し、3日連続で長ーい時間に渡って外の空気にさらして、少しはカラリとできたかな?と。

ただ、何となくまだ部屋に何かがこもっているような気がしているのですが、何がこもっていて、一掃したら良いのか、洗い流すのか干すのか、何をしたら良いのかは分からず…。以前、断捨離をしよう!とこころに決めて取り組んだ時にはかなりのものは手放してスッキリはしたのですが、整理しきれていないのか、手放した方が良いものがまた出てきているのか、若しくは手放したりないのか…。なんだろうな。部屋の中をぐるりと見てみて、気になる箇所は改めて向き合う必要のあるところなのかもしれないですね。

ちなみに、話は少しずれますが。去年私が断捨離しよう!と心に決めた時に読んだのはこんまり先生の本でした。

 

人生がときめく片づけの魔法

人生がときめく片づけの魔法

 
人生がときめく片づけの魔法2

人生がときめく片づけの魔法2

 

 この2冊。1冊目があれば、片付け自体は済ませられました。必要のなくなったものを手放して必要なものを残すこと、ものの居場所を決めること、細かな片付けの分類など分かりやすかったです。2冊目は、自分の手元に置くモノを考えること、それらとの付き合い方や日々の生活の仕方、人との付き合い方と、ものの扱い方を考えて、更に片付け後の生活を考える、という後日談的な要素がより盛り込まれています。断捨離した!必要のなものはこれ!理想の部屋を作っておわり!というよりは、アフターケアまで丁寧にされている感覚。部屋を綺麗に保つことや、好きなものに囲まれていられることの幸福感や、それが続けられることって平穏な日々だよ、と教えてもらったように感じました。

やってみての感想としては…自分の手放すものの多さに驚きでした。こんなに物あったの?!活用できなくてごめんなさい!おせわになりました、ありがとうございました!随分ぞんざいな扱い方をしてごめんなさい!などなど。全く思い入れのないはずの洋服を捨てるゾーンに分けた時にホロリと涙が流れたりもして。キチンと自分が持っていたいものを持とう、という気持ちになれました。今までいくら片付けても何だかあまり意味のなかった私でも、キレイさはある程度保たれていると思います。疲れた時はゴチャッとなることはありますが、それもある一ヶ所だけ、といった具合ですぐに現状復帰させられるようになったので「うわー!!!こんまり先生すごい!!!」と、職場のお隣さんにもオススメした程でした。片付けいらぬ、というひとでも、読み物としても面白いのではないかと思いますよ。

季節の変わり目や時期の切り替えって、動く理由を作るのに最適だし、新たな気持ちを作りやすいので、よい機会でもありますね。うーん、また改めて読み直して、部屋も見直して、春のスタートに備えよう。

また明日から、仕事!連休明けも頑張りましょう。

手遅れとは言わせない。まだいわない。

気がつけば、ブログを書き始めて2ヶ月があっという間にたちました。速いなぁ。雪深かったのにもう春ですね。

 

仕事で映画を見る機会があるのですが、今回たまたま、有村架純ちゃんと福士蒼汰くんの映画をみたのですね。高校生の青春キュンキュン映画!王道な感じの作品です。随所にドキドキポイント満載で、ウフフってなります。

普段自分では見ないもので、借りたいと思う種類でも無いので見ていてキュンキュンするということもたまには良いものだなぁと、甘酸っぱい気持ちの楽しさを思い出しました。それと同時に、私ってこの道を過去、学生時代に通って来ているだろうか??と、振り返ってみました。学生時代に好きな子がいて、話せるだけで嬉しいとか告白するとか付き合うとかそういう事。確かにあったのはあったけれど、正直良い思い出というか、先に繋がったとか、実ったってこと無い!それをまさにこの映画を見て、追体験しているのでは無いかー?!と、気づいてしまいました。追体験に関しては、私の場合には、ですが。あんな素敵なことあったなぁ、って思い出に浸りつつ見るというよりは、こういう素敵な青春時代過ごしたかったなぁ、って気持ちの方が強いかも知れない…。

 

学生時代にやって来たことは後悔していないし、それなりにおかしく楽しく過ごして、なんとかなんとかやって来た結果今の私があるので…それを否定したくはない!という気持ちも含めですが。

またその、追体験を映画やドラマでしているのかも、と考えると、私が通って来た道の中で達成されるとされている、ライフサイクルってどのくらい達成されて前に進めているのかな〜と、考えました。それで、思い出したのが学部で習ったエリクソンの発達課題。それぞれの年代年齢枠で、達成されていたら幸せに暮らせるであろうという課題があるよ、という考え方。エリクソンの場合には、成功した時と失敗した時とどちらも、経験としては大事なことで、両方を経験して統合させることでよりスムーズに前に進めるよ、というもの。物凄くざっくり言うと、そう言うものです。今の時代にもさほどズレがないんじゃないかなぁと思うので、そう考えると理論とか哲学的な学問て凄いですよね。

私がこれを学部で勉強した時には、発達課題への難しさや困難さって思う事はなく、多分深く意識することもなかったし、そんなことって起こるのかな〜と思う程度でした。でも、この理論で言われるような、各々の年代で乗り越えたり達成されたりすると良いと言われる、当たり前のことを当たり前にすることの難しさとか、その「当たり前」が本当に当たり前なのか?ってことを考えさせられます。その年齢、年代でできなかったことは、後から後から追いかけるように達成して行くことでも、遅くても自分のペースで自分の納得いく形で人生を積み重ねて行けることになるので、根気強く付き合って向き合ってくことが必要っていうところは何だか救われる部分で「まだ手遅れじゃない!」とホッとするところでもあります。それぞれに対して丁寧に向き合い、悩んだり困ったりしながら、少しずつその坂道を登っていくことが自分を形作るものになっていくという意味では、自分の持つ力を信じてあげようよ〜気長に〜と、言われているようでもあります。習ってからしばらーく経った今になって、自分も救われることだったなぁ、と改めて思いました。

生き直しって言葉はあまり好きではないけれど、人生何度でもやり直せるし、自分が諦めない限りはそのチャンスはあるんだよ、ということを再確認させられました。というか。そういう言葉が今欲しかったのかも!

 

さーて、連休だーい!