かにさん記録 blog

日々の思うこと、好きなこと、考えの整理!

最近のあれこれ

日経の三国志CMがやけにツボな最近です。家来ちゃんがヒョコヒョコやってきて「申し上げまぁす」というコマが一番好き。

暖かくなったし雪もしっかりなくなりましたが、冬の名残のような冷たい風や朝夕のひんやり感はまだ後を引いて、私のこと覚えていて!!と、冬に主張されているような名残惜しい彼女の様な(笑)、そんな気がします。そういうイメージです。

今日は最近のことや思うこと、色々なことを脈絡なく書いて行きます。

 

まず、退職した子との久しぶりの再会。

凄く久しぶりに連絡を取り、会えることになったのでとても嬉しかったです。同期ではないですが、初めて同い年の人と職場で働けた!という有難い子。プライベートでも仲良くしてもらっていましたが、同じ同僚でも、同い年っていう括りがあるだけで謎の安心感。常に、同じチームだったり行動を共にしていたというわけではないけれど、何となくの心の拠り所にしていたなぁと思います。特に入れ替わりの多い時期を同じく過ごしてきたので尚更そう感じていたのかも。

客観的に、今の職場について見て話してくれたので、はっ!そうだった!と気づくことや、渦から引っ張りだしてくれる感覚と、渦にいることの理解もしてくれ、聞いて引き出してもらう、頭が解ける感覚。退職した人の冷静さに触れて、時折会って話すのは本当に大事だとしみじみ感じた時間でした。それは、良くないところを指摘されるとかそういうことではなくて、渦中を外から見るとこういう感じ!とあくまでも客観的な視点を得る絶好の機会。内部を知るからこそ分かる絶妙な具合も、互いの理解が早くて話も更に分かる。勿論、退職を勧められたわけではないけれど、外の世界もまぁ良いものだからどうぞお待ちしていますよ、といったところ。そこそこ私生活でお互いの近況も報告しあい、久しぶりにわきゃわきゃしたな〜と短時間でもお腹いっぱい充実でした。

 

久々のワンマンライブ

かねてより期待に期待を重ねていたAwesome City Clubのワンマンライブに。ライブハウス自体久しぶりで、単独ライブも久しぶりで期待度高いし結構浮かれていました。年齢層も客層も幅広くて一緒のライブ見る集団ぽくない雰囲気だったので、心配していた浮き具合も恐らくほぼ目立たなかった。はず。歌も掛け合いも素晴らしくクオリティも期待以上で最高に素晴らしい時間でした。聴きたかった曲もほとんど聴けて大満足。最後はステージ下まで降りてきた2人をどっち見ようかとキョロキョロ。思ったより全体的に踊る雰囲気ではなかったので、体はクタクタになる覚悟でしたが、ほぼ疲労することもなく、心地よい熱に当てられていろんな意味でホカホカになりました。ライブは軽い現実逃避だな、と思います。夢心地で、旅行に行くのと同じ感覚になります。年明けから何とかやってきたけれど抱き続ける沸々とした感覚が少し弾けたんだかな。またこれのために生きよう、楽しみにしていようと、単純ながら思いました。

 

Awesome City Tracks 3

Awesome City Tracks 3

 

 私のオススメVampireは3枚目のアルバムに入っています。

 

Awesome City Tracks 4

Awesome City Tracks 4

 

 Action!は今の時期ぴったり!と思っていたらそんな風に紹介されていてもっとたくさん聴こうと思いました。シャッキリしていこう。

 

そしてそうそう、全然話は変わりますが、私もこう言って毎日、毎週の時間を過ごしたいなと思うのです。毎週、はせさんの毎日を、切り取った部分を覗かせていただいていますが、あくせくしたものを感じさせずに、さらりと、でも濃密さもあって充実していて、やっぱり素敵だなぁと思います。

今週も楽しく善く生きました!

はせさんブログより

2017年第16週の日記 - インターネットの備忘録

ちょっと違いますが「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。By魔女の宅急便」のような。周りから見たら皆それとなく上手いこと人生進んでいたり、何事もないように過ごして見えるけれど、全然そんなことはなくて。毎日色々なことがありながら生きていて、その中で、少しでも自分が嬉しくなるようなことがあって、それがあるから「今日良い一日だった。また明日も」と言えるんだよなぁ。やっぱり日々、自分の好きなことやちゃんと一日過ごせたこと、やってきたこと、良くも悪くも認めて「よし!そうか!」と今日一日の終了印を押していこうと思いました。

 

そして、上とはもう全然関係ない話です。

Pocket Change

今、wbsでやっていたポケットチェンジ!旅行などで使った外貨を電子マネーに出来る機械、使ってみたいー!年内には100台を目指して国内の各空港に設置予定だそう。今は羽田にしかないけれどかなり使えるらしい…お札は次行くときに、使おうと思うけれどコインの細かくなりすぎた物は、結局溜まるばかりのことが多いので助かりそう。身軽でいたいのでなるべくコイン増やしたくないし、行く国によるのかもしれども。あまりしょっちゅう旅行行かないなら、レート見て換金してしまった方が日本で使えるしその方が良いよなぁと、思いました。私のウォンのコインもタンスの奥で眠るより有効活用できそう。

 

久しぶりに長々と書きました。1つの話題も良いけれど、たまには思いつくことつらつら書くのも面白い。

今週始まったばかり。よーし!の言葉、かけつつやっていきましょ。

甘くたっていいと思うんだ

昨日今日と暖かくて心地よい休日でした。特に大きなイベントはなく、気ままに過ごしていましたが、結婚祝いの贈り物を見に行ったり。気の向くままにぶらつき、ぽかぽかした太陽の暖かさを久しぶりにのんびりと浴びたな〜と思う週末でした。

やったことは本当に消費活動のみで、生産的なことを本当にしなかった!いや、来週からの準備もしたけれどそれはただの下ごしらえ…。でも間違いなく、美味しいものを食べて、好きなことをして、少し自分勝手にお金を使ってみて、自分のでき得る方法で癒しと英気を得て参りました!

土曜日に、テレビで見たいちご大福が食べられないものかと、自力で行ける範囲を探して日曜日も開いているお店を見つけて土曜は眠りにつきました。でも、今話題のJアラートがいつ鳴るんだろうと寝る直前に少しビクついたことで序盤は夢見が悪かった…脅威!食欲もさすがに負けます。

朝は少しゆっくり準備をしていざいちご大福目指して出発。お店はわかりやすいところだったのですぐに購入できました。人気な時は売り切れるらしいとのことだったですが、今日はまだ余裕がありました。店主さんかは不明ですが、店先に立っていたのはおばあちゃんで、これまたいちご大福売ってそう!な、雰囲気のある、可愛らしいお方でした。

さて。温かいお茶をも買って、日向ぼっこがてら近くの公園でモグモグタイム。最初からそのつもりではありましたし覚悟はしていましたが、いざとなるとやっぱり勇気のいることでした…。何故って、1人だからね、おそらく普通の大人な女性はこんなことしないでしょう。でもそれを吹き飛ばすくらいにいちご大福が美味しかった!いちごは勿論ピカピカだし、口にするとみずみずしくて、餡とお餅ともうまく果汁が絡んで良い感じ。餡の甘さも程よく、いちごの甘さと酸味を美味しく感じられるステキなバランス具合でした。あまり餡や大福系は好きでないのですがペロリと平らげてしまいました。また食べたいな〜。時間が遅くまではやっていないので、今度も休みの日にお邪魔しようと思います。お腹満たされ陽に当たり、のんびり過ごせた1日でした。太陽に当たると体に良いって話は本当にそうだなぁと実感。

以前は、誰かと何かをしなくては休日な気がしないしそれこそが充実だと思っていて、1人で何かした時に今ここで共有出来る人がいないことが勿論残念にも思います。でもそれと同時に、1人でそれをやって楽しんでしまっている自分が寂しく悲しい人間に思えた時もありました。自分が楽しいからやっているはずなのにね。

疲れ過ぎたら1人になりたくなって、気の向くままぼんやり過ごしたり、おうちに閉じこもったりする人も多いと思うのだけれど、周りと関わる元気すらない時はそういう過ごし方で社会生活、対人生活を営む英気を養うことは大切なことで、必要なはず。少し元気が出てきたらそれで良い。気がすむまで楽しめば良い。悲しくなる必要なんかないし、自分のことを元気にさせる方法は自分で見つけなきゃ。

前に、自分の機嫌は自分でとれ、的な話をまなつさんから引用して書いたこともあったけれど、それと同じことですな。

フキゲンの訳 - かにさん記録 blog

そして、頑張るという言葉だけでなくて、どうしたらそうなれるのかを、試行錯誤をしていかないとね。

またしっかり平日生きよう!

気持ちをあげたい人を選ぶ事

やれやれ春らしくと思ったら雪の降る日もあったけれど、それは一時の気の迷いだったようでちゃんと春になってきました。でもまだコタツは使用中。

 

私の中の大人って、もっと寛容で広い視野のある柔軟な優しい人だと思っていたのに、ちがうなぁ、程遠いなぁと思う最近です。そうなりたいという理想はそれで違いないのですが。難しい。ひとつずつクリアしていたいと思っていたけれど、そのうち1つもままならない。寧ろ、歳を重ねて、色々なことに対しての好き嫌いも増えたし変に人を疑ったり自分に素直でなくなったり、行きたくない方向に進んでしまっているとも気づきました。理想と現実ってこうも乖離するものなんだろうか…。

でも最近、それでもひとつ思うのは、好きじゃないものを何とか無理やり好きになって、付き合おうとするのは止めようということ。今まで「どこか何か良いところがあるはず!嫌いになるのは悪いこと!」と、多分無意識的に思っていたから。初対面の人やものに遭遇した時に、嫌悪感や疑心から入るのは良くないよ、そういう風に物事を見ずに、まずは受け入れようとするのが貴女の良いところだから〜、と言われ続けてきたのもあるのかも、と今ふと思い出しました。

一度巡り合ったものに対する評価は上がったり下がったりするのが普通だし、そうしていたはずだけれど、おそらく、ある一定の「好きじゃないゾーン」に入った後で「嫌い」という括りのゾーンにものや人を区分けしてしまうことに対しての罪悪感や自分の不寛容さのせいでそう考えてしまうのではないか、というある種自分の小ささにガッカリするというやや身の程知らずな感じ。そうしなければ、外れるものがあるのは可哀想なこと、皆一緒でなくてはならない、のような横並び一線にする事で、自分の安心感を得ていたのかもしれないです。

でもそうである必要は全然ないし、差別化されないって逆に変なことで、それこそ不寛容なことなのに、と今は感じているところです。自分の中の感覚を押し殺してまで付き合うものや人なのかって考えると、時間とお金と労力をかける必要のないことなら、本当にムダでただの浪費ですよね。やらなくてはならないことだとまた別の話にはなりますが、選べることなら無理に付き合いで続けなくて良いし別のことに費やした方が、よっぽど精神衛生的にも良い。愛情もお金も時間も労力も、自分の本当に好きなことに費やすべき!あとは同じように費やしてくれる人にちゃんと返すべき!と感じることがあった最近でした。

生き方の付き合い方

久しぶりになってしまいました。もう少し自分の頭と向き合う時間を作りたいな。

 

自分の立場とか両親との事で考えたら悩むことも多いのですが、色々あって今、少しずつ自分で「生きてる」感じを得ているというか今までが「生かされている」感に近かった、と感じています。とは言っても、周りの人から色々と助けてもらいながら、支えてもらいながら生きていることに変わりはなく、これまでもこれからもそれは有り難いことに続けていただけそうで、そのお陰で「生きている」から、生かされているに近いのかもしれないのですが。自分が生かされている部分と、自分で地に足をしっかりつけて踏ん張る部分の割合や「何も出来ない子」と思われることの抵抗感と、自分でやれることはこれ!枠を決められて来たことへの抵抗を示し、反論しつつ体感しています。

今までの生活に甘えとか緩さはもちろんあったけれど、とことん、離れてみよう、私のやりたいようにやらせてもらおう、自分の自立に責任を分かりやすく取ろう、としてみています。これが既に子供のやることなのかもしれないですけれどね。でも本当に1人になった時に、自分がちゃんと生きていけるための術を身につけて実践できることが、親離れであり自立だろうと私は感じているので、恩知らずなやり方のことも多々あるとは承知で最近は生活しています。やっぱり母的にはあまり気にくわないようで、今までしてあげてたのに要らないって何!困ると思ってやってたことなのに!と、言われてなんか…やっぱり親不孝だなぁ…と思いながらいることも間違いありません。でもこのまま楽すぎる生活ってやっぱり自分の今後にも支障でてくる!しかも親にもよくない関係性だな、これって、いつまで経っても良い距離で大人の付き合いができない親子関係だな、と何かと子供役でい続けてきたことの違和感を解消しようとしているところです。私側の楽に済まそうとする怠け具合もそうだし、親側のややお世話焼きなところの加減。周りからはとっても遅いですが多分、親離れというのかな。

親との関係はこれからまたいっぱい気づくこともあるし、きっと絶対後悔する出来事があると思います。今の距離感も「もっと側にいれば良かった」ってなるかもしれないし、逆に近いままだとお互い鬱々してしまったかもしれないし。この先時間がたたないと分からないけれど。でも学ぶことは間違いなくあるし、そこから好転した関係でちゃんと良い距離感で付き合えるようになりたいと、思います。そうなった時には「生きてる」感覚にまた違いを感じるようにもなるのかな。どうなんだろうな。

 

はーそれにしてもテレビで見る東京の桜、すごく綺麗でびっくり。一度は時期を合わせて旅行に行ってみたいものです!

「お疲れさま」の意味

わーもう4月!時の流れは早い…。土日休みだけれど英気を養ってまた月曜から気持ち新たにスタートするぞー!そういえば、エイプリルフールなのに何にも面白い嘘ついてない!

 

私ごとですが、何気なく便利な言葉なのかもしれないけれど、平日休日、どんなシチュエーションにも関わらず「お疲れ様」とか「おつ〜」と常にメールやラインや電話の冒頭に持ってくることに結構違和感があります。あれってなんなのだろう??

言葉の意味だけ取ると、例えば休日にちょっとした用事で友達と連絡をとったとして、文章の冒頭に「おつかれ〜」って来ると、疲れてないよ!!!とか、業務連絡でもないのになんでおつかれ…??と思ってしまうってことです。

平日の仕事終わりに例えば連絡を取ったとしたら、今日も仕事お疲れ!の意味で通じるとおもうけれど、たまにその意味も成してないなー枕詞的に使ってるなーという「お疲れ〜」にも遭遇するので、その意味で使われるとやっぱりあまり好きではない。

「おつかれさま」は、時間問わずつかえる、どんな状況でも大抵の人には通じる便利枕詞みたいなものだと思います。が、挨拶の場合なら普通にこんにちは、とかこんばんはとか、おはよう、久しぶり!とか元気にしてる?って言えば良いのになぁと思うのですよ。

何気なく、無意識に使う言葉なのかもしれませんが、意味ない言葉で繋ぐなら意味ある言葉を発すれば良いのになぁと。それが普通だから使ってる!とか業界や社会人では当たり前だから!ということもそれはわかるけれど、いつでもその言葉一言で片付けるのって、コミュニケーションをちょっと怠けているんじゃないのかなーと思う私は捻くれているのか?と思って、Google先生で検索して見ました。同じことを疑問に思っている人は知恵袋などでチラホラいましたが、それに対する回答が結構冷たいというか…多分根本的に考え方が違うんだな、って、回答がほとんどでした。そんなこと思うのは心が狭い!とか、言ってくれるだけ良いだろうとか、こちらで良いように解釈をすればいい、とか、社会人では当たり前だから、とか。

回答をみた個人的な感想としては「ふーーーん…そうなのか…」でした。友達だろうが上司先輩の場合だろうが納得いく回答している人は見当たらなくて、なんだ、使う側は結構テキトーに使っているんだな、ということしか納得はできませんでした。

手紙やハガキの冒頭に書くように、季節の挨拶をしよう!とか、した方が良い!って言うことではなくて、情緒的なやりとりが言葉にあるなら、つかみの部分て大事なはずだし、受け取り手の事を考えて文章をしたためるはずだから、発信する言葉にどんな意味があるのかをもっと考えて使えたらいいなぁ、と。私自身が使う言葉でも、周りにとって嫌じゃない言葉がけをして行きたいなーと、一通のLINEを受け取り感じたのでした。

どうなんだろう?これってどうでも良いことで、心が狭いのかな?うーんうーん…。誰かえらい教えてください!!!

たわいないこと

もうすぐ3月も終わりますね!1年の3分の1が終わっちゃいます。歳を重ねるごとにあっという間に過ぎる時間。過ぎていった跡を見ると、惜しいような戻りたくはないような。

どんな道に行っても後悔しない道ってないのかもしれないですが、どこへ進んだにしても、自分が満足できる道に進めるような選択はして行きたいなぁと、やっぱり思います。

そう考えると、やりたいことや好きなことはちゃんと見つけて発掘したいし手にも入れたい。自分の今の役目との狭間で葛藤することもあるけれど、妥協しすぎず芯を作ってどしんと構えよう。現実味をもって、だけど少し夢見がちでも理想も忘れずに。日々を送ることだけに忙殺されず、ちょっとの良いことで元気に、ほっこり嬉しくなれる余裕を持っていられるように。

気持ちよく帰り道に散歩出来るくらいの季節に早くなってほしいなー。

やりたいことを続ける事

ここ数日、春らしいけれど、寒がりな私はコートからまだ卒業できません…そろそろクリーニング行の準備をしたいのですが。若者はもうジャケットを着ている人が多いですが、私にはまだ無理でしたー!だって溶けかけたのにまた雪も降ったしね。早くサーっと無くなってしまえば良いのにね、でもそうすると春物不足なのでそれはそれで困るん。

さて先週は結構な困った事が徐々に山積みになってきたのでそれをチーム内でなんとかしようぜ…と、動きました。あ、それ今やるの…?という事案もあるけれど、それは仕方ないので頑張ります。

 

題名について。時には難しいこともあると思うけれど、自分のやりたいことをやり続けられるって素敵だなぁと思いました。それは手放しに、自由にやりたい放題ということでは勿論なく。

というのも、職場の子がやっている声楽のコンサートへうかがい、それを思ったのです。いつもとても謙虚で、頭の回転が速く仕事も勿論デキる子なのですが、仕事と奥さんとしての役目も果たしながら、ずっと続けている声楽を、発表会で定期的に発表をできるレベルにスキルアップさせられ続ける事。やらなくてはならないことは多分、たくさんあるし、やりたいこともたくさんあるだろうけれど、優先順位をつけたり取捨選択をしていく中で、本当に自分の欲しいものや必要なものが選ばれていって洗練されているから、大事にしたいものを大事にできるし、譲れないものが生まれてくるんだろうと、思いました。当たり前に皆がしている、普通のことなのかもしれないけれど、吟味をするとか、じっくり取り組むってことの大事さを彼女の歌を聴いて感じました。私に足りないもの。大事にしていることだからこそ、心動かされ、うったえるものがあったんだなぁと。

終わった後で、出演者の方々がお客さんをお見送りしていたのですが彼女の顔を見た瞬間、なんだかもうその時の自分でもよく分からない謎の号泣をし、凄かったよー!凄かったよー!を連発して帰って来るという…(お疲れの所本当に悪い事したわ…)。でもそれくらいに、衝撃的というか感激もしたし、好きな事をし続けるパワーや何にも代え難いものを持つことの素晴らしさを実感しました。

何かのために頑張ろうと思う気持ちの強さや努力したいと思うことが、私にも欲しいし見つけなくてはならないなと。一番身近な仕事は確かにそれに当たりやすいものではあるかなと思う一方、今のままで続ける事が良いのか、続けながら見つけるのかはたまた全く違う事をするのか、再確認と設定しようと思います。

この歳になって考える事じゃないのかな〜と、思うことも多いですが、何も気づかずに通り過ぎなかっただけ大きくなれるチャンスを得た!はず。

良い刺激を受けた1日だった〜。自分でやることは吟味してからで良いと思うけれど、見るもの、知るものの数は多いに越したことはない!気持ち新たに過ごせるパワーをもらいました。明日からもまた頑張ろ!