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かにさん記録 blog

日々の思うこと、好きなこと、考えの整理!

ごはんのもつ力

食べること 日常

今日も良いお天気でした。でも風が冷たくてさすがにまだマフラーと手袋は必要…それでも着々と春になっている空気は感じられました。

 

最近、土井善晴さんのツイッターをフォローして色々と見させていただいています。

この間、リンク貼りつけされていた記事です。視点・論点の中の一記事でした。

「料理する意味」(視点・論点):解説委員室ブログ

ご飯を作ってもらい、それを食べられることの愛情って、確かにそうだ、私もそうしてもらってきたな。というのと、ただ「ご飯」という1日3回食物を体の中に入れる作業というわけではないことを知っていることの大事さ。自分の体だけではなくて、人生も作っていく大事な要素の1つで、全てへのつながりを生み出す根源でもあるということ。誰かにご飯をつくってもらえる事は、例えば家族の中だと、家の中でのつながりや色々な物事の仕組みや背景を知るきっかけ作ってもらえているのが1つ。一人暮らしをしていても、自分が生きるために自分に対して手をかけることで「ちゃんとしている感覚」が確か生まれてくるとの話…。もっといろんなことを書いてあったのですが、色々大事なことが詰まった文章だなぁと思いました。

自分のためのご飯に対しては、私は満足いくご飯が出来た時には、たまにしみじみ「ちゃんとしている感覚」を持っていました。こんなこと思うの私の自己満足かな〜と思っていたのですがそうでもないようです。そんな感覚があって良いんだ、ってホッとしました。自分でご飯を作ることで、自分のために作っているけれど、懐かしい味を思い出したり、例えば誰かにこれを作ってあげたいと思ったり、自分に向けた作業の中にも他の人を思う時間が生まれる、1人じゃない感覚にもなります。それが虚しかったり寂しかったりするというよりは、誰かのことを思えるあったかさみたいなものを感じられる気がして、好きな時間だなぁと思っていました。

ただ、それがなかなか続かなくて、やっぱり他の人が作ったご飯も食べたい…疲れたしお金かかるけどご飯買って帰ろう…ともなるのですがね。でも、手間暇かけてくれる懐かしい味も、カンタンな自分ご飯も結局は好きだから、ずっと外食やコンビニのお弁当を食べようとは思わないのかな、と。まぁそんなこと続けていたら破産しちゃうけどさ!

そういう営みを持続できる人間になりたいと思います。生活全般を整えながら生きるって、当たり前のことだけれど、どこかで日々ここまで!っていうところがある程度制限はされるだろうし個人差もある、怠けたり手を抜いて楽をしてしまう。ところが、やればやるほど丁寧に出来て、多分終わりがないものな気がします。なりたいように自分で変えられるし、ここでオッケー!とすれば、そこが自分の丁度良しとできるもの。どういう所で生活していきたいかの基準や基盤にもなっていくことなのかなぁと、思います。こんな位の自分になりたい、生活をしたい、ということ。ここだ!って明確にしている人もいるかもしれないけれど、その時々の自分の意識やモチベーションの位置にすごく私は左右されてしまってブレる。だから多分、料理もずーーっと作り続けられず、小休憩みたいな時期がチラホラあって、行きたい方向を見失うんだろうなぁ。

食事って、毎日することでそれがないと生きていけないから、疎かにはできないし、自分の力ではどうにもならない時にはお惣菜や外食の力を借りることもある、はず。少なくとも私はそう…。問題はその後で、極端な話にはなるけれど、その力を借りたあとでどうするか、このままでずーーっと栄養として摂取するだけでいいのか「ちゃんとして」いようと思うのかってことの分かれ道なのかなぁと。そしてその選択肢との戦いは私は常にさせられている気がする…選びながら失敗しながら、ブレなさ、身についていたいです。