読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

かにさん記録 blog

日々の思うこと、好きなこと、考えの整理!

夜更けの珈琲会議

こちらに出てきたオトンからのお誘い。喫茶店で少し話したくらいだけれど、すごく良い時間だったな~なかなか、今までにない父娘の時間。そもそも外で会って飲食する機会となると、父母+子達で1セットというまとまり以外ではなかったので新鮮。今度は飲みに行こうな、って言われたのもちょっとうれしかった。

そしてなんとも、吐き出すという感覚が久しぶり。友達にいうのとまた違うんだよな。

血のつながっている間柄だからこそ話したくないこと、話せること、話しづらいこと、言っておきたいことがあるとしみじみ思った。

私の感覚を評価される時って、私が外から得てきたものに対しての両親の評価は分かれる。かなりの確率で。大方はオトンが評価してくれるけどオカンは評価しない、ていう図式。オカンには結構な勢いで否定されたり過剰に評価されたり、私の抱える感覚がそんなにおかしいのか?居る世界がそこまで歪んでたりひねくれたり汚いのか?と思うこともあるけれど、今日はオトンに、同じ所属・括りから見たとしても「それは違う」と首をひねることがあるんだよ、と示されたことで本当にホッとした。私自身に、まだマシにまぁできてるんじゃないの?、くらいのレベルの部分が存在していたこともそうだけれど、それなりに社会人として生活を営んで来られたことに対しての自信や評価をしても良いのかなと。

人間、自分が良いと思っていたことをダメと言われるとヘコむししょんぼりもするけれど、いつまでも庇護下にあって自分のできることできないことを等身大で見つめることができない状態でダメな子と言われながら過ごし、ある時外に放たれて感じる、良くも悪くも存在する絶望感が大きくなると途方に暮れちゃうよね。私はそんな感覚を、一人で暮らし始めてからようやっと持つようになっているんだよな。親離れ子離れの問題にもなるのだけれど。

今はもうそこまで唸るほど思い悩むこともなくなっているけれど、一時本当にそればかりに思い悩んで、今までやってきたことが本当は自分が自分じゃなく、良いように取り込まれて自分という人間が動いているような気がしていた時期があった。その時は「毒親」とか「母の支配云々」みたいなことをGoogle先生に尋ねてみたり本を読んで自分なりに何とかしようともがいてた。そしてこうなったのはオカンたちのせいだ!とか涙ぐみながら読んだ時もあった。今思うとそこまで追い詰められてたんだなぁ…物凄い過去のような感じがしている。ただまぁそれもここ1年くらいの話なので最近なんだけれど。

 

母と娘はなぜこじれるのか

母と娘はなぜこじれるのか

 
母は娘の人生を支配する―なぜ「母殺し」は難しいのか (NHKブックス)
 

「呪縛」っていう書き方が良いか悪いかしっくりくるか来ないかは、人によりけりだとおもうけれど、ふんわりした毛糸でクルリンと包まれる程度の「縛り」と、ロープウェイの鋼鉄ロープでグルッとされる「縛り」というものはやっぱり違う。「縛り」を毛糸か鋼鉄ロープか、どう感じるかは各々の感覚なんだろうけど。ただ、それが傍から見たときに「異質」であったり「なんかちょっとおかしい」っていう部分があればそれはやっぱり「どこか違う」「変」の括りになるんだと思う。変に感じなかったりすることが、やっぱり「変」だし縛られているってことなのかな、という理解をした、気がする。

結果、過剰な親はどこまでも過剰な「毒親」ってことになるから上を見ても下を見てもキリないな、と読んでいて感じた。要は自分が「なんか違う。変。生きづらい」ていう感覚に気づいたなら、何年と生きてきて培ってきた自分だけの感覚にも目を向けて信じることが大事だと思った。ただ、「違う、変」な関わりや関係性は全部否定するのではなくて「理解する」って形で、自分が辛くならない、嫌にならない距離感でうまく付き合っていくことが大事なのかもしれないと思う。少なくとも、私の場合は、受け取る私としては「あなたのためだから」「そうする事が愛情だししてあげたい!」傾向が果てしなく強いな〜って感じる事の多い、奉仕精神に満ち満ちたオカンなので、そういう付き合い方や頼り方がお互いのためには良いのかな、と今は感じる。

自分の感覚が育てられた親からもらった、間違いなく正しいものである!っていう事、完璧なもの、っていう感覚が強かった分とても私は苦しかったなぁ、と今更ながら強く感じている。親が完璧に清くまっさらに正しいなんて、ンなわけもちろんないのだけれど、どこかで自分が気づくきっかけやそういうことを感じる機会がないと、物凄く一方的で身勝手で歪んでいくんだなってことが分かった。

私の場合は幸い?にもオトンときょうだいがいて話を聞いてくれるし、私と同じ感覚で母に「うーん…」て思う部分があるっていう感覚を持っていてくれているので全部を一人で抱え込まずに済んでいるけれど。

でもオカンはオカンで、自分の親との関係の中でクリアできなかったその時々の家族で乗り越えるべきだった問題とか、その中での関係の構築とか、それらについてのつまづきがあるから、どこか過剰だったりして調節できなかったり上手くいかないと悩んでるんだろうとも思う。そして、それを消化できずに今日に至っているんだろうな~と。まぁ悩んでいる自覚や意識があるかはわからないけれど。たぶんそういう事なんだろうと思う。

私がこう思うってことは、一番近くでビシビシと日々受け止めているオトンはもっと大変だろうなぁと思ったんだけれど、それを「大変じゃないよ。今まで本当にたくさん助けてもらってきてるし、感謝してるんだよ」って言えるオトンで安心した。私がオカンから聞かされる日々のオトンはどうしようもなく勝手で、人の気持ちがわからん感謝のない野郎(完全に否定はできない箇所もあるが)、なんだけれど、オトンはオトンなりに理解しようとしてるし受け止めようとしているっていう事、もう少し分かってくれたらいいのになー、オカンこそ実はいろんなことに囚われて、見えなくなってる事多いかもしれないんだよーって、気づいてほしいな。今は難しいだろうな!

 話したことはこれに限らないので話がなんだか一方的で繋がっていない感じもするけれど。私にはすごく必要な時間だったし、もうすこし早くにこういうことを話せたら色々と違う結果が見えてたのかなってぼんやり考えもしたり。あとは、話し合えたり、分かり合える間隔は似ているので思い出してちょっと泣きそうになったりもしたけれど、今の自分の判断は今後につながることだと信じたい。