かにさん記録 blog

日々の思うこと、好きなこと、考えの整理!

春の散歩道くらいのんびりと

ここ最近、本当に毎日あっという間に過ぎていきます。これが良いのか悪いのか。流れに乗るだけで頭も気持ちも満杯になっていないか、振り返る必要がありそうです。タスクはこなせていますが、降りかかってくるタスクもまた同じだけあって、追いかけっこになるだけで、同じところをただグルグルとしていて前に進んでいないような…。

 

先週お話ですが、今の私に必要な考えと見方と学び!はせおやさいさんの記事からです。

「人はもともと欠けるところのない存在である」 - インターネットの備忘録

ちょっとくらい失敗したり間違えたり、そんなのしたってぜんぜんいいし、失敗に怯えることでその人の良さが発揮されなくなるのは、全体の幸福度を下げてしまう。もちろんリスクヘッジは必要ですが、そういう阻害要素はなるべく排除して、じゃんじゃん失敗してもいいよ、きっとあなたの得意なことは、どこかにあるよ、と信じて待つ、気長に待ちながらも、自分にできるところはサポートし、本人の離陸を見守る、という関係性を作る努力は、決して無駄にならないし、無駄にさせない、という強い決意を新たにした今日このごろなのでした。

これは、私含めしたいそれ!!!上になればなるほど自分の中で失敗したらダメ!の風にビシビシさらされて、そう見られているんだなぁ…と所々で感じる日々。

 

私が「認める」というと偉そうで語弊があるのですが…自分のされてきた、してきた経験とも重ねて考えてみました。コーチング、仕事で関係ある分野ですがちゃんと勉強をした事がなく…オススメされていた本を読んでみようかと思います。

まず、仕事面でも、学生時代の部活動なんかでも考えてみたら、誰かの何か「お!ここ良い!」と思えるところを見つけて引き出すって、相当に労力(というとあまりしっくり来ないですが)のいる大変なことだなぁと思います。自分でも気づいていないかもしれない能力を、赤の他人が見出すんだから、時間がかかっても「ここ良いじゃん!」って発見してくれる人って本当に貴重で、自分のことを普段からよく見てくれている人なはずです。

今考えてみれば、私の大学時代の言語研究会の先生がそうでした。さりげなく何気なくかけてくださる言葉が、良い意味での肯定感をもたせてくれる温かさのあるものばかりで、本当に私たちの事をよく見てくださっていたんだよなぁ…と、しみじみしながらこの記事を読みました。その先生は、直接的に「ここ良いじゃん!」などと言う先生ではなかったですが、次に次にと進めさせてもらえる感覚がありました。あれこれもと、チャンスをたくさん与えてもらい、出来たら一緒に喜んでくれる、失敗も「そんな事で死ぬわけじゃないんだから〜同じことしなきゃいいだけ!」くらい寛容で、のびのびのび、と両手足いっぱいに広げて奔放に先生の広ーい器の中で転げまわっていた、そんな感覚です。

仕事とまた部活動は責任感や対外関係やら色々なものの重さがまずは違ってくるので質が異なるものではありますが…。

そう考えると、見守られている中で背中を押してもらい、信じて任せてもらえることの嬉しさって大きいですよね。その中で自分の身の程を分かってきたりするんだとも思います。そして、あれこれ考えて発想を巡らせたり、ピンとくる何かを引き出せる機会を作るための準備やヒントを探し当てる、という、これってものすごい…やっぱり大変なことだ…。でも、その人がどこかに属して生きて行くとなった時には必要な、自分の良さや武器はあればあるだけ良いし、誰だって周りから必要と思われる人や、役に立ちたいと思えば、どこかに自分のできることや価値を見出したい、はず。それを見つけることに一朝一夕さは必要なくて、むしろ人によってはじっくりゆっくり温めて孵化させるくらいの感覚でもいいのかもしれないですね。

受け止めること、気長さ、本質を見極めること、寛容さ、見守ること、たまに軌道修正。必要事項?になるのでしょうか。最初の話とズレてしまった気もしますが。

最近組み始めたチームでもなかなか噛み合わないところがあったり、昔からの習慣で何気なく続けていたけれど結局は皆が無理して頑張らないと出来ない、のような事が多くて悩んでいたところでした。その中にはそれぞれの良いところがなかなか生かされずに来てしまったことが要因として大きいのかなぁ、もっと良い形で還元できるためにも、チーム内のそれぞれの良い個性って見つけたいし、そうしたらパフォーマンスとしての質も上がるはずなのになぁ…と、やっぱり改めて感じました。

めちゃくちゃタイムリーに、ポンと舞い込んで来た記事に感謝でした。まずは改めてよくよくよく、皆のことを観察して、自分は余裕と寛容さを意識して!今一番足りないものですが、少しずつ蓄える努力をしなくてはね。寛容さって、私のなかでは、春ののどかな昼下がりのイメージです。

「やる」の集積

糸井重里さんの言葉って、さすが端的でハッとする言葉と表現がたくさんです。

ほぼ日刊イトイ新聞 より

ほぼ日刊イトイ新聞

「案ずる」だけじゃ、なんの意味もないよね。だけど、あちこち「案ずる」だらけって感じだよね。「言う」より「やる」の集積が、その人なのにねー。

ほぼ日刊イトイ新聞 より

私の最近の、私が発する言葉への違和感がこれでした!まさに!自分で言うのも悲しいですが「口だけ人間」とでも言えば良いでしょうか。「心配だよ」「大丈夫?」って、最近の私が言うと、都合良い言葉になっちゃうなぁと、後ろめたさのようなものが表されていました。

思うだけ言うだけって一番簡単で、口出しだけでもそれらしく取り繕えたような気分に陥ることもあって。気持ちは果たしてそこにどの位、存在しているの?そもそも本当にそう思う気持ちってある?!と、我ながらなかなかにレベル低いことを自問自答して、心の奥底の空っぽに恥ずかしくなることもしばしば。

多分やっぱり、「そう思うことをしておけば良いだろう」「関わりが面倒。余計なことに巻き込まれるのはゴメン」というズルさや、相手の立場から見た大変さやしんどさ、辛さを知ることをしなくてもいいや、関係ない!という淡白さ、というか薄情さ、上手いこと言い方を変えれば自己防衛、にもなるのかもしれないです。でも…必ずしも親密さが要されはしなくても、できることで自分の気持ちを表して行動するから、その気持ちと行動を見て、周りはその人を信用するし、自分のために行動してくれる人がいるってことは嬉しい。人として、口だけより、自分の時間や労力費やしてくれる人の方がそりゃそう思えますよね、そうだよね。周りを見られる目や余裕がある分そうできることの幅は広いだろうし、そうありたいと思うので、この言葉、心に留めたいなぁと思いながら読ませていただきました。

本当の気持ちの余裕ってどうやったらできるのかなぁ、とこういう記事を見ながらウンウン言う日々です。

センサー付きトイレの話

 

NHKを見ていたら、へーというニュースが。

 

トイレの空き状況が、スマホやPCでわかっちゃうというシステムが開発されたらしいですね。

ドアに取り付けたセンサーで、個室に人が入っているかどうかが分かるとのこと。仕事の効率化、働き方改革にも一役買う働きをしてくれることが見込まれているとか。デモ画面らしきものの中には、個室に入っている時間が秒単位で分かるようでした。

 

大きなショッピングモールや、デパートなんかだと、待ち時間がないフロアですぐ用を足せるというのは嬉しいし、子ども連れのママさんには、子どもたちにトイレをガマンさせたりせずに入れることは便利なのかな〜と思ったのですが。あとは、不自然に長い時間入っていたら、体調不良で動けないのか?!とか、犯罪に巻き込まれているのか?!そういう万が一の時に駆けつけられる、安心にも繋がるツールになるとは思います。

ただ、オフィス内のトイレに取り付けるとなると、ちょっと落ち着かない気がして…。「どこのタレベエが今手前の個室使っています!」なんて身元がバレるとかそういうことは勿論ないでしょうが、効率化とはいえ、見知らぬ誰かに自分の用を足している時間が知られちゃうとかなんだかなぁ…と、思ってしまいました。トイレの一時くらいボヤッとさせて欲しいな〜と思うのです。

 

私自身、諸々技術の発達のすごさは普段そこまで気にとめて生活はしていません。ただ、どこにいても誰かが自分の所在を知っている状態にいられること、そこにかなりの情報が詰め込まれていることを考えると、改めてその凄さと、一度握ったら手放せない怖さも感じます。例えば、ICカードで改札を通った通らないや出退社の時間がわかっちゃうことも、GPSも。そしてSNSがその代表的な例なのかなと思っていました(と言いつつ、自分もしっかりどっぷりつかっているのですが)。でも、SNSは自分から積極的に発信することで、生活圏や個人的な情報もたくさん発信できてしまうということから、使っても使わなくても良いツール。やりたければアカウントなりIDなりを作ってそのコミュニティに参加すれば良いものです。意図しない、ICカードGPSも使いたくなければ切符を買えば良いしGPSも接続せずに使うか、極端な話になって現実的ではないですが、もういっそのことスマホやケータイを置いて出かけちゃえば関係なくなってしまいます。

 

でも、仮にそこから離れたとしても、トイレにはどこかの誰かに自分の所在が見られる状態になってしまったら、なんだか……囲われる枠が多いな、やっぱり落ち着かなーい!と、思ってしまうのです。いちいちどこかに所属している感じというか。それを強要されている感じ。うーん、なんといったら良いのでしょう…これ伝わりませんね!浅いところですごくひねくれて物事を考えているので、適切な言葉が出てきません。

 

トイレのセンサーごときですが、見ながら、書きながらそんなことを思いました!トイレも奥深い時代になりましたよ。多分。

ごはんのもつ力

今日も良いお天気でした。でも風が冷たくてさすがにまだマフラーと手袋は必要…それでも着々と春になっている空気は感じられました。

 

最近、土井善晴さんのツイッターをフォローして色々と見させていただいています。

この間、リンク貼りつけされていた記事です。視点・論点の中の一記事でした。

「料理する意味」(視点・論点):解説委員室ブログ

ご飯を作ってもらい、それを食べられることの愛情って、確かにそうだ、私もそうしてもらってきたな。というのと、ただ「ご飯」という1日3回食物を体の中に入れる作業というわけではないことを知っていることの大事さ。自分の体だけではなくて、人生も作っていく大事な要素の1つで、全てへのつながりを生み出す根源でもあるということ。誰かにご飯をつくってもらえる事は、例えば家族の中だと、家の中でのつながりや色々な物事の仕組みや背景を知るきっかけ作ってもらえているのが1つ。一人暮らしをしていても、自分が生きるために自分に対して手をかけることで「ちゃんとしている感覚」が確か生まれてくるとの話…。もっといろんなことを書いてあったのですが、色々大事なことが詰まった文章だなぁと思いました。

自分のためのご飯に対しては、私は満足いくご飯が出来た時には、たまにしみじみ「ちゃんとしている感覚」を持っていました。こんなこと思うの私の自己満足かな〜と思っていたのですがそうでもないようです。そんな感覚があって良いんだ、ってホッとしました。自分でご飯を作ることで、自分のために作っているけれど、懐かしい味を思い出したり、例えば誰かにこれを作ってあげたいと思ったり、自分に向けた作業の中にも他の人を思う時間が生まれる、1人じゃない感覚にもなります。それが虚しかったり寂しかったりするというよりは、誰かのことを思えるあったかさみたいなものを感じられる気がして、好きな時間だなぁと思っていました。

ただ、それがなかなか続かなくて、やっぱり他の人が作ったご飯も食べたい…疲れたしお金かかるけどご飯買って帰ろう…ともなるのですがね。でも、手間暇かけてくれる懐かしい味も、カンタンな自分ご飯も結局は好きだから、ずっと外食やコンビニのお弁当を食べようとは思わないのかな、と。まぁそんなこと続けていたら破産しちゃうけどさ!

そういう営みを持続できる人間になりたいと思います。生活全般を整えながら生きるって、当たり前のことだけれど、どこかで日々ここまで!っていうところがある程度制限はされるだろうし個人差もある、怠けたり手を抜いて楽をしてしまう。ところが、やればやるほど丁寧に出来て、多分終わりがないものな気がします。なりたいように自分で変えられるし、ここでオッケー!とすれば、そこが自分の丁度良しとできるもの。どういう所で生活していきたいかの基準や基盤にもなっていくことなのかなぁと、思います。こんな位の自分になりたい、生活をしたい、ということ。ここだ!って明確にしている人もいるかもしれないけれど、その時々の自分の意識やモチベーションの位置にすごく私は左右されてしまってブレる。だから多分、料理もずーーっと作り続けられず、小休憩みたいな時期がチラホラあって、行きたい方向を見失うんだろうなぁ。

食事って、毎日することでそれがないと生きていけないから、疎かにはできないし、自分の力ではどうにもならない時にはお惣菜や外食の力を借りることもある、はず。少なくとも私はそう…。問題はその後で、極端な話にはなるけれど、その力を借りたあとでどうするか、このままでずーーっと栄養として摂取するだけでいいのか「ちゃんとして」いようと思うのかってことの分かれ道なのかなぁと。そしてその選択肢との戦いは私は常にさせられている気がする…選びながら失敗しながら、ブレなさ、身についていたいです。

いつもと違うこと

今日は天気が悪い!寒い!と聞いていたのですが全くそんな事はなく。でもずっと家でゴロゴロ。

午前はliveのチケット戦争にスマホ&PCで挑みましたが惨敗。入力するところまで行ったのに…残念でした…。午後からもだらりーんとしながら映画見たり片付けしたり。夕方近くになってから、冷凍してあった鶏胸肉を鶏団子にすべく作業開始。

結果、なかなか美味しくてきたので記します。適当な量でしたが、使った材料と大雑把すぎる量です。

 

鶏胸肉 600グラムくらい

ねぎ 2本(細かったので2本使いましたがお好みで

片栗粉 大さじ2くらい

卵 小1個

しょうがチューブ 2センチくらい

塩胡椒 適当

※本当はお豆腐を入れてヘルシーな予定でしたがお豆腐抜きで作りました。全部で30個くらい作れました。

 

鶏胸肉をミンチにする。

鶏胸肉と包丁でひき肉★手作り鶏ミンチのコツ・使用法 レシピ・作り方 by 手作り大好き さくら|楽天レシピ

冷凍の方が細かく切りやすいという事ですが、少しシャリシャリしているくらいがちょうど良いかったです。冷たくて、切るときも混ぜるときもまだ冷たくて指が痛かった…!刻みつつ粘りをだし続け流という作業で、包丁をしばらくの間まな板に叩きつけるので、平日の何かが解放されます。無心でたんたんトントン叩き続け、次は味付け。

 

ごりゅごはんさんより  鶏団子の作り方

「さくっと3キロ落とす」ダイエット鶏団子と鶏団子活用レシピ - ごりゅごはん

材料はここを参考にしました。お豆腐を入れるとヘルシー!それから、私は塩胡椒は少し多めに入れましたが、その後にアレンジするお料理次第かと思います。

 

夜は作った鶏団子にキャベツときのこ、大根を入れて中華風スープに。ミンチは買うもの!でしたが、無心でトントンして、一個一個作るのもなかなか楽しかったです。新しい事をお試ししながら、また新しい発見ができるのは良いですね。こういう事の積み重ねって日々の中でも大事だし、どうでも良い事かもしれないけれど、私には自信になったり安心したりできる材料だなぁ、と感じたのでした。

ウルウルの正体

やっと週末なのに、通常モードに戻って慣れないうちにまた振り出し、みたいな状態。一旦仕切り直してまた来週から。

 

最近体やお肌や色々なところが鍛えて&ケアいないから衰えたな…と感じることも多いのですが、やたらと涙腺も弱くなっていて、前はこんなことで泣かなかったのに…ということにも、気づけばウルウルしていて、日々浄化されている気分です。

昨日も、バラエティ番組で『もしも娘が失恋したら父親はどんな声をかけるか?』のような内容のことをやっていたのですが、娘を思うお父さんの不器用ながら暖かい一言や、相手と人と自分のことをどう考えるかということを、真剣に真摯な気持ちで伝えている場面があって、自分のことでもないのにグズグズ…。

人の事は見て、なんていいお父さんなんだ…とか、愛されてるなぁ…いい親子!!とか、鑑賞対象としてだから思うのかその暖かさにじんわりしみじみしてしまうのですが…。自分の事となると、どうもそう思えなくて、同じように大事にされている感覚はあるはずなのに全然素直に受け取れず、寧ろ、本当にいいのかな〜…私はめっちゃ楽だけどそうさせるのは悪いな〜って思うのと同時に、もう少しフラットでいてくれていいのに…オカンとオトンの感覚足して2で割ったらちょうど良くない?なんて、思う自分もいて複雑です。両方が違いすぎて迷うことも多いというか、使い分けがとっても必要。

テレビの話で言うと、人の事を見ているときは客観的なのだけれど、ブワッと感情がわいて泣く、とか胸いっぱいになる、といったことが出来る分、こっちの方が何となく有り難い気持ちになってしまっているようで、直接関わる人にされている色んなことを受け取れていないって相当に薄情なんだな、私。とも思うのです。感謝してないわけではないのだけれど、多分、親が感謝してほしいように気持ちを受け取れない、私が感謝できていない?から、すれ違っちゃうし、ものの受け取り方も違うからイザコザも起こりやすくなるんだと思うのです。でも、今の私にはもう精一杯やっているつもりだけれど、考えが足りない!と言われ、期待値に届いていないことに、そんなこと言われても…って反論したくなったり、またダメって言われた…確かに言われ続けてきたことはこういうことではなかったのか、私はそれを理解できていなかったと落ち込む。そして、私自身を理解されていないことにも悲しくなるし思わずイラつく。なので、向こうを失望させず、お互いに穏やかにいられるように、触れないようにしようとするので余計に距離も遠のいてしまう、といった感じです。本当は良くない。そうなの。

テレビでふとした言葉に涙腺が思わず反応するのは、少なくともそれに対しては同調しているところがとても大きいからなのだなぁ思う。ガルガルしている時って、素直さは欠けてしまうから聞き入れられないことも多いのかもしれないけれど。

あとは、私があれこれ言われている時って、寄り添われている感覚が薄いから?と、今思いました。言いたいことはわかる、だけどこちらの本当の言いたいことは伝わってない微妙にズレている感じ。

伝えてきたはずなのに、本当の意味を分かっていなかった!って言われると、こちらもどうしたもんか、申し訳ありません…でも私はあなたとは違う人間なので、丸っきり同じ過程を踏んで理解しているとは思わないでください、って最近思えるようになりました。それは私からの発信でも同じ事で。気づかないよりはマシといえど遅いですが。

親の全部に応えられない自分がどれだけおかしいんだろう?と思っていましたが、全く別の人生を歩む、人格の違う、私をぴったり同じ感覚のレールに乗せられようとしていたから、自分の見聞きすることや経験、環境、私の性質のベースにどこか合わなくて無理していたところがあったんだなぁ、という理解を今のところはしています。この考えや感覚が、この先変わるかもしれないし変わらないかもしれないし、それはわかりませんが。若しかしたら、言われていた事に反抗的になっていただけかもしれない。ただのイタイ奴かもしれないし。

 

だいぶ話は脱線しましたが!私にとって、悩む事や考える事が多いのは仕事や、今後の事も確かですが、家族の事って大きいです。クリアできていない事も多い。結局、家族と言っても個性のある全く違う人間だという前提で付き合わなくてはならない、ということをとても意識して付き合わなくてはならない人たちですね。一まとまりって難しくて、個性的な1チームと思うように考えようと、少しずつ思い始めたところです。

繰り返しのようで新しい日々

昨日の給湯器の故障は、なんてことはない、安全装置が作動したとのことで、解決しました。何故そういうことになったのは不明…。ともかく、あったかいお風呂に入ることがなんて有り難いんだ〜と、ホカホカで幸せな今宵。お湯に浸かれるって本当にリラックスできて、贅沢な使い方だなぁとホカホカしつつ感じていました。

 

今日から仕事が少し普通、に戻りましたが、今までの仕事の勘のようなものが鈍っていないか、心配になりました。動き回っているうちにあっという間に時間は過ぎ、気がつけば定時。今日、大丈夫だったかな、と振り返るのにもなかなか体力を使う時間でした。最近新たに組み始めたチームの中では、ひとつひとつ確認をしながら仕事を進めようね、と言葉にはしませんがお互いの行動や声がけにそれが表れていたようで嬉しかったです。まだ余裕がある中なので、出来るうちに色々と実践しつつ、チームの中で色々と話したいなぁと思います。

私自身が分からないことや見えていないことも多いので、色々と教えてもらいつつ、修正できそうなところは修正していきたい。悪しき、とはいいませんが『それはそうやっていて意味があるの…?』という端から見ていて理由のないように思うことや、無駄になっていそうなこと、必要でないことの見直しと、今のチームの環境や、受取り手のニーズにマッチした方法を、他のメンバーともガサゴソ変化への手探りをし始めたところです。

変えることって勇気がいるし、そのままやっていた方が無難に違いない。大きな事故や失敗にはならない。だけれどもそれは停滞してしまうことで、同時に衰退していくことだとも思うので、ひとつの場所に染まらず、色々な角度から物事を見られる自分でいられることで少しずつ良いように進化できるのではないかしら。

見極めは必要だけれど、変わることって楽しいし、新しい何かを生み出せることにまた喜びを感じたり、受取り手からの反応も楽しみで、それが自分が次に動くための報酬なんかにもなる。

周りに何があるのかな、といつもと同じ道を、いつもと違う目とアンテナで日々キャッチできたら…いいなぁ、という理想とたまの実践でそう思うのです。

 

暖かい日が続いて、今日も夜も着込まずにいても寒さをそれほど感じないな〜と思っていたら、桜の開花予想が出されたとのことで、春を感じる便り。鎌倉の植物園では品種によっては既に咲いているものもあるとか。葉と花が一緒に開く桜しか見たことがなく、桜色で空が埋まるという景色は見たことが無いので、いつか是非とも見てみたいものです。桜の綺麗なところへ旅行に行きたい…まずは旅費を貯めましょう。