かにさん記録 blog

日々の思うこと、好きなこと、考えの整理!

人との距離感

週末、本当にたくさん話をしました。実家に帰った時にも話はしますが、短い時間で何度も意思表明できたり色んな人に違った角度から色んな質問を投げかけられることはないので、それがこの二日間にワッとできたのはとても大きかった。近しい人、第三者的な意見として、輪の外から客観的な提示をしてくれる人まで。

自分のことをそれぞれの場所で知る人たちと話をしてみて、ある程度の軸は自分の中にあることを認識できたり、こういうことを思っていたんだなぁ、足りないことはここだなぁと再認識できるきっかけにもなりました。影響を受けすぎているなぁってことを再認識したりもしましたが…でも、とても良い時間で私に必要な時間でした。ちゃんと話ができた所と多分うまく伝えられていない所もあったと思いますが、それぞれの時間を贅沢に使わせてもらって本当に有難いです。

 

そこで思ったことです。人との距離感の話なのですが、私とても下手くそで、変なところでものすごく遠慮したり、逆に、この人良い人!と思ったらすぐついて行きたくなっちゃったり、お近づきになりたいのにそれを自分から言えなくてチャンスを逃したりきっかけを作れなかったり。そんな感じなのと、見た目の印象と中身が逆行しているらしいのでそれも相まって良くも悪くも勘違いされたり誤解される事もしばしば。だから、今回のように、色んな距離感から私をみてくれている人があぁだこうだと言ってくれることがすごく嬉しかったのです。それぞれの距離での私の「理解者」がこんなにいる!しかもみんな私のことちゃんと分かってるー!!と、感じることばかりで、本当に嬉しかった。

それぞれの距離で思うことや見えることを率直に話してもらえたことや、問われたことに答えてみて、足りないものや積み重ねていかなくてはならないこと、本当は逃げていたことも目の前に差し出された感じです。

 

そこで、大きいのは未だに親の影響。何かにつけても生まれてからずっと育て、見守ってくれてきた人達。自分の価値観や正しさが、家の中のことが元にはなっていて、確かにベースではあるのだけれど、そこに積み重ねたり削ぎ落とす自分の感覚の成長は放棄して既存のもの(親産)に頼っていたなぁ…それで苦しくなっている今だから、自分の望みや生活スタイルや、今後のことを考えた時に色々とつきつけられて、どうやってもハマらないしハマるはずがない。怠けずに、自分の進みたい道を進もうと思っていたけれど、中途半端に自分でやってみて面倒になったら後は従っていれば楽チンという結果に結局はおさまっていたようです。

子どもは何歳になっても子どもだから!という言葉は人ごとのように聞いていたのですが、我が家では特に母親がそうで、たくさん甘えさせてもらう部分もありますが、これってこのままじゃイカンよな〜これ半分寄生しているような状態だよな〜と感じることも多々。それができる環境は有難いし、そういう環境で上手く付き合える人もいるのでしょうが、今の私には少なくとも出来ないので、私流での付き合い方を今、見つけようとしているところです。そのための距離を取るという方法。こうすることが正解なのかは分からないし、少なくとも距離を置くことで若干の嫌味と寂しさや複雑に混ざった言葉が発せられるので(それは受け取る私の感覚の問題だけれど)、これが良いものでないんだろうな〜とは思っています、まだ変えないと難しい。

大人として、1人の人間として独立した存在になるための、いわゆる親離れ子離れってやつが出来ていない!うわー!と、気づいたのも最近で、各お家で考え方や感覚は違うからな〜と家庭環境の結構違う友達もまま多かったので、あまり気にしていなくて、自分自身が疑問を感じることもなかったのですが、ふと気づいたのが最近。それだけ、自分の家の感覚が身に染み付いて「普通」って思っていたからだったんですね。育った環境や培ってきた自分の感覚を周りと比較して、世間とのズレや厳しいな、緩いな、物事の良し悪しやモラル、常識、マナーというものを感じて自分の生きるところにマッチした形に作っていくってことが、意識しないと出来ない人でした、というか今それを意識しないと…と感じて動き始めたところです。

結構というか、かなり自分のおもむくままの生活をしてきていて、それを周りの人も有難いことに寛容に受け入れてくれていて、考えなしの私は「あ、これで良いんだ〜」とかなり楽していました。そして今に至る。なので、周りが自分と比較してどうかっていう本質的なところには目が向けられていなかったのが、今になってこうして色んなことに付随して困りごとになってムクムクと表面に浮いて出てきたんですねー。

話が飛んでしまっていますが。人間関係の一番小さな、距離の近いカテゴリーは家族で、そこでの人への接し方や考え方は自分を形作る基本であり、身近で見本になるのもそのカテゴリー。そこで自然と学んだら気づいて学ぶことで、それを外での生活に適応させるから、外に出た時に違う!とびっくりすることもあるししっくりマッチすることもある。自分の住まう環境で新たに育てる感覚もあるし、色んなものを総合してやっとこさ、自分の型が出来上がっていくんだなぁと、思い ました。

色んなことに気づいたり考えたりするのに時間がかかるし浅いことも多いけれど、自分なりのものが確立されるようにたくさんのことに触れて、感じて考えて行きたいと改めて思いました。久々に良い週末過ごせたー!!!と嬉しいので今週も頑張ります。

雪が少しずつなくなってきて、コートからそろそろ卒業したい日和!

思ったこと

平日を終えて、私の休日の過ごし方にしては、早い動き出し。晴れている!気持ち良い休日の始まりー!

テレビでは震災を振り返る特集がたくさん組まれています。もう6年経つんですね。時間の流れが速いような遅いような。

震災前の福島のイメージってどういうイメージでしたか?っていう話があって、今の強烈な震災後の印象が大きすぎるんだなぁと改めて思いました。多分、震災前のイメージはそれぞれ1人ずつ違うものがあったはずなのに、1つの大きく強烈な出来事によって、たくさんの人のイメージをガラリと変えてしまった。それが、人に対しても、向けられていて悲しく悔しく嫌な思いをすることにもなってしまうこともあって、苦しんでいる人がいるという現状。6年経ってもそういう状況がある、言っていても悲しくなる今です。

 

正直、私も今の福島のイメージ、と言われるとどうしても震災後の原発のことが先行してしまいますし、それに対する理解や知識も薄いものだと思います。でも、それについて知らないし怖いから避けようとか、除外しようとは思わないし、そういう風には思いたくもないです。

何でそういうイメージや考えになるのか??と、考えた時に、自分にとって得体の知れないものや知識のないもの、知ろうとしないものには排除因子として一括りになっていて、一端の情報や知識で全てを判断してしまうから、自分にとって排除!こっちこないで!となってしまうのかなと思いました。与えられる情報や知識を吟味選択するという大事な作業がまるっとないというか。あるがままに分かりやすいことを手に取るのが一番簡単だし、見出しの目立つトピックに目に通すだけで何となくわかったような気になり、自分の意見や考えのようにして取り入れる、ことが起こるからそうなってしまうんでしょう。これは福島の事に限らず。

与えられれば、それに対する自分の考えや想像力が欠けてしまいがちになるのかもしれません。知ろうとするから考えることもあって、関心を寄せることにもなるはず。

この日だから、とかこのことだけ、に限らずに必要なことというか、心に留めておきたいです。

フキゲンの訳

よぅし今週も頑張るぞー!と思っていましたが、気分を上手く切り替えられず、グダグダしたまま仕事してしまいました…そしてあり得ない凡ミス。相手には本当に申し訳ない事をした…。

 

というのも、何となくモヤモヤしていたりグツグツと何かが煮立つ感じがしていた周りの人との関係。まなつさんのブログから。これめちゃくちゃ私ー!

自分のご機嫌は自分で取る - 今夜、どこで寝る

私も自分の機嫌は周りの人にとってもらっていた人、というかなう、だったのをなんとか変えようと模索中。はぁ、本当になんとかしたい…自発的に何かしたり周りに目を配ろうとか、前よりもやっているつもりではありますが、急にやろうと思っても不自然で、空回りしてるなぁっていうのが自分でも分かる感じです。

私の場合は、「してもらえる」事が当たり前になっていた、という事もあるし、そうしてくれている人がいる事で自分の価値みたいなものをそこに見出していた節もありました。だから、基本的に受け身だし「なんでもいいよ」の人でした。なんでもいいよ、は大抵のことは不満も言わないし楽しんだり食べたり飲んだらするからいいよ、っていう意味ですが…書くともんの凄い偉そう…。私の好きなもの、楽しいもの持ってこーい!!!っていうことで、どこの何様?っていう態度ですね、で、好きじゃないものだったらむくれるというオチ、こりゃー仲良くしたくないタイプ。

だから自分で自分の好きなものもわかっているようで分かっていないし、あまり積極的に見つけようともしていなくて、与えられるがままに受け取って、いるorいらないと、ただ判別していただけなので、大体やる事は中途半端になっている気がします。あとは、自分の好きそうなものがどの辺にあるかとか、どこにどんな物が転がっているか、っていう事を知らない。知ろうとせずに、もらうままにその場にとどまっていました。そして、自分探しをしている人が物凄く胡散臭い感じがしていて好きではない(正直今も…)。実際の人間関係で「自分探し」に一方的に嫌なイメージがついてしまったというしょうもない理由なのですが、それすらキチンと出来ていない私には、彼ら彼女らを嘲笑う資格はないって事ですね〜…。でも、まだくだらないミエで自分探し!って言う事はまだ出来ないので、今は声に出さなくても、黙々と自分の中で勝手に進めていこうと思います。

そして、自分の好きなもの嫌なものをちゃーんと判別して、選択した結果を得たいな。できるなら不機嫌より機嫌よく毎日過ごしていたいし、そういう人間でいたい!

 

迷いが多いけれど、そういう時にこそハッ!とする言葉に出会えますね。有難い…!

いつもの世界を離れて見てみたら

今日は色んなことをやった日でした。お休みのいただいたので、絶対やる!と決めていた事ののほかに、平日しか出来なさそうなこと…銀行に行ったりとか、そういう事。

友達の結婚祝いを送ったり、すり減っていたブーツの底の貼り替えをお願いしたり、仕事で使う本を見に行ったり。ずっと悩んでいたメガネを作り替えに行ったり。気になっていたカフェでランチをしたり。カフェはしごをしてみたり。そういうこと。普段、時間がないから後で!とか、悩んで今は決められないから結局後回し、になる事が私ははたくさんありすぎます。よくどうでも良い事で悩んで決められなかったり、面倒だな〜と思っているうちに結局忘れてしまったりする。それをもうしっかりやろう!と決めて今日は午前中からよく歩きました。出費も比例しました。

今日は、周りの人の歩みの速さには極力、意識的に合わせないようにしてみようと思い、自分の歩きたいスピードでのんびりテクテク歩き回りました。その結果、いつもかなり頑張って、周りに合わせながら歩いていたってこともわかりました。まぁ普通はそうか。でも、人に合わせないで歩くスピードってゆとりもあって周りも見えるし、穏やかな気分。反対に、今日のように自分がゆっくり過ごそう、ゆとりあるなと思った時の、周りの歩みの速さがとてつもなく高速に感じて、私はいつもこの波の中の一員なんだよな〜と思いました。側でみていると、ここにのまれたくない…と、物凄く思うし、たとえ一員であっても忙しなく居たくはないんだな、この速さはイヤだ、と私は超絶マイペースで生きたい人間と改めて認識。勝手身勝手!でもそういう風な生き方を今まで許してもらえて居たって事ですね…。

オンオフでいうと、あんまり区別のない人生を送ってきたので、いつでもどちらか1つで、どこに行ってもあまり変わらないというのは多分そうしなくても受け入れてもらえていたし、そうしなくても何となくやってこられたので、ほぼ「素」で過ごすことができていた、のだと思います。いつでもケロリとしていて度胸あるよね!と言われた所以はこういう所にあるのかと。スイッチ、あるに越したことはないしそうしないと自分が疲れるな〜と、歩きながらそんな事を思っていました。

書きたいことはまだあるけれど睡魔には勝てないのでまた今度の機会に。

さーて、明日からまた頑張るぞー!

ひどく世話の焼ける、自分

何だか、平日から一変して寒いのですが…!!せっかくの休みなのにー!平日の天気が良くて、休日の天気が悪いと少し損した気分になります。でも、天気の良い休日に限って日向でゴロゴロしちゃう不思議。ゴロゴロって最高の無防備です。

 

そういえば、嬉しいお知らせが昨年秋から今年にかけてたくさんありました。確か、趣味繋がりの子の結婚します!メールに始まり、ぞくぞくと出産や婚約や式の招待…最近も、春先に趣味繋がりの子が式をやるとのことで連絡をいただきました!オメデタイ第一陣は大学卒業後割とすぐ来て、ただいま第二陣の波がやって来ているところです。その波には生憎乗れずにオメデト〜と、呑気に声を上げるにとどまる私です。

あーいいなぁ〜旦那さんとか新婚さんとかそういう幸せワード!と思う一方で、ぼんやりでも、こういう結婚生活したいな、えへへ、というイメージすら持ち合わせていない状態で相手云々はおろか、結婚もないな、というか私って結婚したいのか…?と、疑問を感じ始めました。羨ましさがある一方で、今の自分の生活の状態で結婚生活を営めるか?と言われると…昨日も書きましたが、言ってみれば、毎日自分の生活をするだけで結構精一杯。ここまでやったらオッケーという目標や次へのステップも設定していないし、この生活をし続けている限り疲弊しかしていかないかも、と危機感。そう、今更に。それで結婚してからのことなんて考えられるわけないし、今の状態で考えていたとしても、最早妄想の域なのかも、とも思います。そして妄想は妄想でしかないので現実味はないということになりますよね。悲しいかな。

頑張り続けてはいても、何故なんなためにやり続けて疲弊しているのかよく分からなくなって来たナーと、薄々思いながらも「まだ今はいいさや、仕事変えたり新しいことはしなくても」と、遠ざけて「今を頑張れば何とかなるし、毎日生活していく中で自然に変わっていくもの」と、都合よく思っていた節がありました。そこがもうね、ダメなんですけれど…ドラマや漫画かよ、誰の人生なんだよ、ってね、そうなんですよね…。

何かのためにどうにかするって、日々の仕事やその積み重ねはあっても、先にある遠い目標のためにしていれば良いのかもしれないけれど、そういうものが無くて、その日暮らしをしている毎日って、なんのために生きているんだろう、と。多分、他の同じ年代の人が当たり前に考えてやって来ていたことを、何と無く周りの人に助けてもらいながらヒョイヒョイとやって来た私は、今更そこに立ち戻っている状態です。線路を引いて!と周りに言ったわけではなかったですが、これは良いぞというものを、色んな人が好意で引いてくれた線路をあたかも自分の道のように、なんの苦労もなく(自力な所もたまにはあったと思いたいけれど)、サーッと来たなぁ…。本位だろうがそうでなかろうが、そうしてもらったおかげで今までやって来られていることを感謝したり振り返って、ちゃんと自分で選びとって進まなきゃ、ならない。はずなんですが…。

最近のつまずきが多いことは、気づきでもあるのですが、今更なことも多くて沈没気味。普通にやって来たつもりが、実は全然歩みの遅いことに気づかされて(仕事でも日常でも)、それが自分でもすごく残念だし、人より劣ることが多いことに「なんで出来ないのかな」って悩むし、どれだけ万能感に溢れていたのか!ってことに恥ずかしい気持ちもあるし。そこら辺について自分を自分で認めることにものすごーーーく、時間を要しています。にしても時間かかるなぁ。

そしてまとまらないなぁ…でもこれも、今の自分の頭の中なんだな。うーん、大胆に動くより、モゾモゾと悶えながらゴロゴロ転がりながらどちらへどのくらいいくか〜……まだしばらくかかっても、ちゃんと決めなきゃ。手のかかる自分!見捨てずに生きないと。

結婚はそれからですな〜というかまず相手ね!

無理じゃない!

昨日は暖かい1日で、いつも寒さ凌ぎに履くロングブーツもショートブーツで良いくらいでした。雪もだいぶ溶けてきました。帰り道のひんやり感は、春というよりも、秋の最初くらいにスゥッと透き通るような寒さに似ていてとても不思議な感覚。また今日は雪がちらつく1日でした。冬と春の駆け引きは続きますな。

 

昨日の出来事。同じチームの子が終業後残っていた私に、最近の自分の仕事のこなし具合や、それを踏まえて思ったことを話してくれました。その子が帰る間際であまりに唐突に話し始めたので、なんでこのタイミング…?!と、思ったのですが「誰かに話しておきたかったんです」って言われて、すごく清々しそうだったので、とりあえず今、聞き手に回る私がいて良かったと思いました。

普段なかなか成果が出なくて抱えることが多かったのを見ていたので、今ちゃんと余裕を持てるようになりかけていて、プラス仕事の中でもでやりたいことができるようになってきているようで、とても嬉しそうに話してくれました。

人によって、こなせる仕事のキャパは違いますが、今、毎日うわああぁぁっと、追われるようにやる事が迫る日々の私は、そういう意味では余裕ってないな〜と改めて思いました。経験値で仕事をして、本当に「こなす」ことも多くて、新しく何か一から考えて取り組めていることは少ないです。培ってきたベースがあって、それの応用やちょっとした路線変更くらいなもので、一から新しく立ち上げる何か、はかなりご無沙汰になっています。何もしていないわけではないですが、広がりや新しい発見の意外性みたいなものは確実に少ない。効率や要領の良し悪しで言えば計画性が他の人に比べると足りないので、その辺が問題なのもわかってはいるのですが…。そのために新しいことを考える時間を取れていなくてこなし作業も多くなってしまう循環。

周囲から環境設定されたことで上手く回るようになる場合もありますが、大方は自分で考えてやることで、多分それをできるようになっていくのが慣れていくということで、自分の容量やキャパを知ることにもなる。もし、できなければできるように工夫するか、申し立ててチームなり上司なりに何かしらの変更をお願いする、とか。うーん、見直さないと…!

ちょっと話は変わりますが、一年に1つ、新しいコミュニティに参加して人間関係の幅を広げる、趣味を増やす、ということをやってみている、という人の話を聞いた事がありました。新しい人と会ったりや新しいことに挑戦する、始めてみる、ことで常に初心者になる場に身を置いて、誰かに何か習ったり、新たな関係を作るってことをしているらしいです。個人的には、一年に1つは新しい場へ飛び込めるフットワークってすごいな!しかもそこで新しく輪に加われちゃうコミュニケーション能力すごいな!と単純に思ったのと、今の私にはできぬ!無縁なこと!という感想でした。自分のキャラクターや趣向にマッチしたところを探し当てらのも大変そうなのに、そこを見つけて、関係作りまでしちゃおうという気持ちがすごい。そういうことできたらもっともっと新しい場所に行きたくなったり、新しいことやりたくなるから出来るのかもしれないなぁ、とも思います。だから、結局はそういうことを「やってみる」ことには無縁なのでは無く、所属したい場を探す気の有無なんだろうな。無理!じゃないんだぞ!自分で、やるんだよ!

生活したいところに身をおいたり、仕事や生活全てにおいてなりたいように自分で色々な面で調整すること、段取りをすること、大事だし目先のことではこなせていても本質ついたところでやって行きたいです。

 

文章ぐちゃぐちゃですね。はぁ、見通すことの大事さは、日々色々なところで感じているつもりではあるんですけれどね、なかなか頑張らないと難しい!

節目と軌跡を追う

今日も、あっという間にすぎました。特に、イベントがあったので1日の仕事もあれれという間に、時間とともに流れて済まされて行きました。今週も折りかえしましたね。そして今日から3月!早く雪溶けて!

 

公立高校は卒業式なんですね〜私の時も3月1日でした。懐かしいなぁ。私の学校は制服がなかったので、女の子は袴やドレス、何かの衣装、みたいなのを着てくる子がほとんどでした。私も、高校の卒業式で袴を着ました。当時は相当まるまるしていたので、普通は胸辺りにタオルを詰めて上衣の格好を整えるはずなのに、持参したタオルを1枚も使わず持ち帰った気が…。

なので、大学の卒業式では袴を全く着たい思わず、周りが鮮やかな可愛い色の袴の中、1人で黒フリルのオシャレスーツを着たので、ゼミ写真や友達との記念写真の中でも若干浮いたのを思い出しました。

社会人になり、転職や異動がない限りは早々卒業などの節目を強く意識しなくなるものだな、と感じています。この時期に仕事で、締め切りに追われたり締め日がとか、決算が、といったことがあればまた違うのでしょうけれど、そうことでの時期は全く関係ないので…追われているといえば常に何かしら抱えてはいる状態ですが…!!春なので新人さんが入ってくるとなるとチームが変わったり、仕事編成が変更することで節目にはなりますが、春だからといって毎年そうなるとも限らないですしね。

なので意識的に、切り替えや気持ちを改めてスタートさせないと「あ〜もうしばらくとりあえず仕事はココでいいや〜」となるかも、と毎年なんとなく感じていました。そう思いながら結構な年が経ちましたが、なんとなくでも新しさを自分なりに感じていたことで、新人で入った時のことを少し思い返して、当時の鈍臭い仕事ぶりから私なりに学んだことや、先輩からの指導やその時に接していた仕事にまつわる人達の言葉を掘り起こす作業をしていたなぁと思います。

その期間はとっても短くて、またいつの間にか日常に戻っていくのですが「いまの自分、どれくらい頑張れてる?あの時からどのくらい役に立てるようになった?成長してる?」を、その当時や先輩を思い出すことで、自分に問うている気もします。答えは、明確に出そうとはしないのですが。多分「頑張れてるよ!成長した!」と自信を持って言えはしないから、答えが出せないのだと思われます…。周りから受ける評価もありますが、例えば何かイイね!と言われるようなこともそう無いし、寧ろ発展途上すぎて自分より下の子には多分基本しか教えられてない気がするし。

自分の実績ってこうですよ、ハッハッハ!なんて(あくまでもさりげなく)言える日がくるといいな、と思います。

積んでいけるようになろう。